ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

治っていく過程の中での気づき

今FBはほぼ閲覧用と課しています。

以前は2つアカウントを持っていて

人によって使い分けていました。

それは、自己開示する練習でもあったのですが

次元の違う人たちを

一つのアカウント内で使い分けることが

その当時の私はできなかったからでした。

現実の世界にちゃんと根をはって

生きていらっしゃる方と

どちらかといえばご自身の世界観の中で

生きていらっしゃる方とを分けて

自分の中で切替えしないと“イマココ”という

自分の立ち位置がわかりづらくて

自分で自分を混乱させることに

なるということがあるからでした。

まだ私の中で立ち位置が決まっていない

宙ぶらりんの時期に

綴っていた記事がありました。

http://sorahitoumi.hatenablog.com/draft/3k5Lozlfp2_8SlQHu0lKTIwYOi4よりをご覧ください)

 なぜ私がいい大人なのに

自分の立ち位置がわからなくなるほど

自分をなくしてしまったのかというと

思春期になり、どこか自分を

外側から眺める癖がついてしまい

ABAのように他者の行動を

自分の中で分析パターン化し

人の中での立ち回わり方を変えていました。

そんなことからいつの間にか

「自分のようで自分ではない感覚」のまま

大人になり主体性のない鳥籠生活で

生きることが“あたりまえ”になってしまいました。

その鳥籠からでる時は、

外側の世界に合わせて自分の内側を切替て

生きていました。

そんな生き方を30年近くしていたら

空気を読もうとすることが

私に副産物を産みだすこととなりました。

精神医学の世界でいえば統合失調症

人格障害であることも

スピリチュアルの世界からすれば

霊感や憑依現象といわれたりすることが

私の身の上に起こりはじめました。

それでも私の場合は人格障害といった

診断は受けていません。

ですが人によっては精神障害だと

感じていらっしゃる方もいるとは思っています。

自分が治す覚悟を決めた後に

断薬を行い漢方を飲み始めました

それでも、向精神薬を飲んでも飲まなくても

同じ症状の幻覚や幻聴又は憑依のような現象が

折に触れて起きていました。

ただ、それらは自分が気を許す人の前だけでしか起きないし

自分でコントロールできています。

今思うとそういった一件二次障害のような

精神の症状が起こる場合には

私自身の中で蓋をしていた感情を

上手く解消できない時に発症するようでした

例えば、何かトラブルがあった場合には

それらは顕著に表出し

私一人の時はなぜか出せず

自分だけでなんとかできる痙攣のみで終ります。

つきあいの長い相方はそういった時の

私の扱い方を知っているので

相方がいる時には憑依のような現象や

人格が変わるようなことが起きたり

沸々とこみあげてくる怒りを

大爆発させても受け止めてくれることを

私が本能的に知っているからか

甘えられるようでした。

ただそういった激しい症状が出た後は、

激しい痙攣が起きたりします。

心理的な負担が大きく

自分を抑制できない状態になった後

丸一日痙攣が続いた日もありました。

それらが治まると嘘のように

脳や身体が楽になることが何度かありました。

でも、これまでの経験の中で気がついたことがあります。

痙攣や憑依現象(人格の変化)が起きた後に

一瞬で楽になる時というのはただ格納されている状態なことに

最近気がつきました。

それとは別に貯蔵され煮えたぎっていた怒りのマグマを

吐き出す作業を行いながら過去に遡り恨み言もあわせ

母と相方には怒りと悲しみのセットを吐き出させてもらうといった

“怒りと悲しみのセット”がぐちゃぐちゃでも言語化され

そのぐちゃぐちゃな気持ちでも相手に吐き出せただけで

私の中では的を射るようで

膨らんでいた風船がしゅるしゅると一気にしぼみ

寝込むくらいの脱力感におそわれることになりました。

その後はしばらく寝込んだりと気力がない状態がしばらく続き、

2日ないし3日単位で身体の状態が戻っていきました。

それからなんか知らないうちに背負っていた荷物も無くなっていて

心が軽くなっていくということが数回ありました。

こういったことから個人的な見解にはなりますが

対処的に治り一時的に格納された場合は“寛解

格納されていたものが出てそれらが出切った場合には“治った状態”

なのではないかと自分では感じています。←イマココ

そして、最近テレビやSNS等で怒りのコントロールの方法など

取り上げられておりますが

私は怒りのコントロールは絶対できないと思います。

コントロールできるうちの怒りはモヤモヤやイライラといった

まだ自己抑制できる取扱いができるものだと思います。

“怒り”はモヤモヤやイライラのマグマ溜りなのだから出すしかない。

ただ、その“怒り”を出す方法や方向性のようなものは

自分の中で模索しておいたほうが良いように思います。

私の場合怒りの塊になる前に常に解消させていくことを今取り組んでいます。

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