ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

治す覚悟を決めた日

あっという間に五月も残すところ後一日となり
連日の猛暑は続いておりますが
まだ湿度がなくカラッとしているので
風さえ吹けばちょうど良い気候のような気もします。
私は去年あたりからこの時期になると
夕方には微熱になることに気がつきました。
熱がでたり、汗をかけるようになると
不思議と少しは緩和されように感じたことを

思い出します。
身体って本当に不思議です。

 

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今日の題名は「治す覚悟を決めた日」という
とっても重苦しいタイトルとなっておりますが、実はこのタイトルは、昨年の年度末にとある事情からイライラがはじまり怒りを解消できずにいる時に相方(パートナー)が悪気なくいった一言が私の怒りの炎に油を注ぐこととなり、相方にその怒りは向けられることとなりました。
自分の頭の上の両方から角が出て、普段はたれパンダ目の私の目が天から頭皮がひっぱられ、目はつりあがり、般若の顔になっているのを自分でも感じるくらい怒りに震えたのです。
その日、どうしてもその怒りを自分でどうすることもできず、私は人生で数回目のОD(オーバードーズ)をしました。
それは、自己抑制も自己統制もできない自分を思考停止させるための唯一の手段でした。何かの時のためにとっておいた飲み忘れたありったけのお薬を全部飲みました。致死量のお薬を飲んだわけではなかったので事なき得ましたが自力で治したので、薬が抜けきるのに相当大変で摩訶不思議な日々を過ごしました。
まだ薬が抜け切れない状態でしたが、その3日後は知人たちとカラオケに行く約束をしており
どうしても行かなければいけない約束だったので、その日はまだ意識が朦朧とする身体で知人たちには何もいわず、私はその1日を過ごしたのです。
とりあえず、その日は楽しく過ごすことができました。
そして、帰りの電車の中で、自分の持つ持病を「治すことが怖かった」ことに気がつきました。それから、この日を振り返る中で気がついたことや自分の身の上に起きたこれまでのことを文書化してみようと思い、綴り始めました。
ですが、間もなく熊本地震が起きてしまったことで一時中断となり、地震後改めてその文章を読み返した時に、私の自叙伝は面白みにかけるなーと思い、文書化することをあきらめることにしました。
ですが、自叙伝部分をほとんど消し、「あとがき」だけはしっかり書いていました。で、その「あとがき」の題名を「治す覚悟を決めた日」というタイトルにしていました。とても重すぎるタイトルですが、あの時の自分の気持ちが揺るがないように、決意を込めた宣言文でもあったように思います。
その宣言文は自分だけの中で納めておけばよかったのですが、どうしても、1人の中では納められずある方だけにはメールをさせていただきました。なぜなら、誰かに宣言することで、私は自分の覚悟したことから逃げないようにするためでもありました。
その日から約1年弱が経つ中で、これでもかこれでもかっていうほどいろんなことで毒だしを行いました。そして、最後の最後の毒出し後、私の治った向こう側の景色というのが正直わからなくなってしまった時期もありました。
今ようやくぼんやりとですが、「治った」と思える状態なのかどうかはハッキリとは断言できません。何故なら、どうしても何かを機に抜け切れない症状が時折あり、ああ、やっぱりまだあるんだと思い、落ち込んでしまうこともあります。
ただ、様々な方のお話をネットで読ませている中で、完全に治るということが果たして私にとって本当に意味があることなのか? 今の状態は「治った」とはいえないのか?
そういった疑問を持ちはじめました。そして、最近今の私の状態は「治った」といってもいいのではないか? そういった思いも芽生え始めました。
今日この日までに何度も何度も音読していた「あとがき」。その「あとがき」の最後に私はこう綴っていました。
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「ああ。私、治るのが怖かったんだ」
  そういう自分の想いに気がついた時に断薬を決めた。なぜなら、自分のいろんな闇は薬では治らないものだという事を思い知った出来事もあったからだった。私の闇は私が創りだした世界。自分の在り方やこれまでの勘違いをなおしていきつつ、身体の土台づくりもできたら、どんな事にもブレない自分になれるだろうと思い、いい加減“治す覚悟”を決めた。

治るにも段階がある
治っていくにも過程がある
治るの向こう側にある景色は
無限に無数に広がっている
誰のものでもない
私だけの治るの景色がみれる日がくるように
私はただ自分と向き合う日々を
これからも大切にしていこうと思っている

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このくだりは、何度も自分で自分をたしなめるために音読しました。何度も何度も落ち込むたびに自分にいいきかせました。それだけ自分を治したかったから。
自分が覚悟したことの信念を曲げないように。
まだ、完全とはいえませんが、今の私は以前の私からすれば「治った」といっていいと思います。不安定になることもまだまだあるし、波もあります。
必要最低限、家族に頼ることなどSNSなどを利用して、自分の感情のコントロールをなんとか一人で頑張っている最中です。
それでも、他者からしたらまだまだかもしれません。ただ、一番苦しんでいた時からすれば本当にとってもマシになりました。だから私は今でも十分楽になりました。これからは更に楽になっていくと思います。
自分の扱い方も少しはできるようになってきましたし、自分1人で無理そうなことは周囲を頼ることもできるようになりました。
選ぶことも断ることも他人軸でなく主体性を持てるようにもなりました。昔の私を知っている人からすればおそらくビックリするくらい、私は変わったと思ってもらえるだろうと思います。そして、OD後に出かけた先でみた青くてピーカンの空が、ちっとも私の心を動かさなかったのは、私自身に原因があり、感情の動かない状態の私が病んでいる時なのだということがハッキリしたので、そういった時の自分のケアの仕方もセルフケアでなんとかなっています。
そして、今、私は不安定になったとしても、私の目の前に広がる景色に感じる感情は別になりました。悲しくても、怒りにふるえても、きちんと綺麗な景色は綺麗だと感じることができます。だから、私の中では「治った」といえるそんな気がしています。