ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

苦しみの迷路で彷徨っていた時のこと

f:id:sorahitoumi:20170510162114j:image

苦しくて苦しくていっそのこと
死んでしまえるなら...
誰にも迷惑をかけず
気づかれないように
この世からいなくなれるなら...
私はもう十分この世を堪能したから
病気で苦しんでいらっしゃる方と
命の交換ができるなら
変わって差し上げたい...

なんて、いろいろなことを
来る日も来る日も考えたことがありました。
私は死ぬような病気ではありませんが
〝死にたい〟という気持ちに
心が捕らわれてしまって
なかなか手放すことができず
毎日死を意識するほかなく
どうすれば誰も悲しまず
誰のことも苦しめることなく
誰にも迷惑かけることなく
この世からいなくなることが
できるだろうかと
毎日毎日そんな気持ちを握りしめ
手放せない自分を情けなく思い
そんな日々を過ごしたことがあります。

テレビやネットなどで
「死にたいなんていってはいけない」
「誰だってそんなこと一度は思うことはある」
とか
「生きたくても長く生きられない人もいるんだから、そんなこといってはいけない」
とか...
そんなことを見聞きする度に
逆に私は追い詰められていきました。
それらを発言されている方からすれば
エールなのかもしれませんが
その時の私は拗ねていたので
「だったら、私と変わってみる?」
と正直そう思っていました。
自分を責めるしか術を持たない時は
どうしても自分だけが悪い気がします
自分だけが悪いわけではないのに
何故だか自分だけを責めてしまいます。
ただ、私はそこから抜け出すには
〝自分次第〟だということを
知っていたからどうにか、
握りしめていた「死にたい」を
手放すことはできました。

そのことをきっかけに
以前親戚の子が私やその子の母親との雑談中
「死にたい」と私たちの前で言ったことを
思いだしました。
あの時、親戚の子はまだ小学校にあがったばかりでした。
その当時は全く事情を知らなかったので
私はその言葉を聞いて思わず
「お母さんの前でそんなこといってはいけないよ。◯のお母さんが悲しいよ」
とその子の気持ちを受け止めず
私は突き放してしまいました。
そんなことを思いだしました。
その時、その子の苦しみが何かを聞かず
その子の気持ちを切り捨てるといった
いわゆる〝ダメ出し〟をしただけに
すぎませんでした。
実際その立場に自分自身が立った時
この状況で、私があの子に言った
「死にたいなんていってはいけない」
「死にたいなんて思ってはいけない」
「そんなことお母さんにいってはいけない」
といわれて、はじめて
なんて短絡的で残念すぎる言葉だったのか
を思い知ることになりました。
実際同じ立場にたち
他者に受け止めてもらえなかった時
私は更に追い詰められたようにも感じました。
何故なら、私の気持ちは聞こえていても
受け止めてもらえない感じがして
とても寂しく悲しかったのです。
どんなにネガティヴな思いだろうとも
受け止めてもらいたかった...

「そんなこと言って欲しいんじゃない。
そんなことわかってるけど、
自分でだってどうしようもないんだよ。」

そういう気持ちも込み上げてきました。
自分で自分を責めるような
言葉しかみつけられず
私の苦しみを誰かに話しても
話を聞いてもらうのは
一時しのぎでしかない堂々巡りな毎日に
自分で自分をこの世に繋ぎとめることで
精一杯でした。
こんな気持ちを
〝誰かに話したところで理解してもらえない〟
といった思いが私のどこかに
あったのだと思います。
〝そういう気持ちは人にいっても無駄なんだ。
だから、自分自身でなんとかしなきゃ
いい大人なのだから...〟
といった縛りもあり私は私を責めていたのです。
ある日、また苦しくてどうしようもなくなり
私はその気持ちを相方に伝えました。
返ってきた言葉は想定内でした。
そして、落胆しながら泣きじゃくり

「本当は死にたいんじゃない。
ただそんな気持ちでいることを
受け止めてもらいたいだけなんだよ。
〝あなたは今そんな気持ちでいるんだねって
何がそんなに苦しいのって〟
ただ聞いて欲しいだけなんだよ...」

そんなことを言えた時から
私の〝死にたい〟という気持ちが
少しずつ癒えていったように思います。
それから、握りしめていた何度目かの
希死念慮を手放すことができた今
生まれ変わることが本当にできるなら
私はもう2度とこの世に
人として生まれ変わることが
なくていいように
今世の自分を精一杯生きよう
残りの人生をもっと味わい尽くそう
そう思えるようになりました。
そして、あの時、苦し紛れにでた
〝命の交換ができるなら...〟
などという私のエゴは
その方の〝命や生〟を
信じていないことになるなぁと
思うこととなり
その方たちがこれからも
『安心安全な環境下で
ご家族の近くで
治療ができますように...』
と世界が平和であることを
祈るばかりです。
私の中での希死念慮のパーセンテージが
99%だった時、残りの1%が
私をこの世に引き止めてくれたように思います。
その残りの1パーセントは

『生きたい』
という身体からの要求だったのでは?
そう思ったりもします。