ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

昨日の晴れ間から一変し
今日は生憎の雨。
春のしとしと雨は
いろんなものをジワジワと
洗い流してくれたり
渇いた土にジワジワと染み込むような
そんな優しい雨に感じます

私は自分が努力しないとできないことは
それなりに頑張って努力を重ね
できるようにしてきました。
それでもできないことは
あきらめてもきました。
でも最近、

「努力をするとこを間違えてたなぁ」

と思うようになりました。
ただ、できることが増えると
自分の世界が広がることを知っているから
なんだかみんなが楽しそうだし
だから、私も頑張って
自分のできることを増やしてきました。
でも、私は勘違いもしていたようで
私が思っていた「できない」は
どうやら他人軸での

「できない」だろうとか
「失敗するかも」

といった刷り込みや思い込みの罠に
はまっていたということに気がついたのです
それに、

これくらい
「できるだろう」
「できて当たり前」

という親や先生の価値観の罠に
マンマとはまっていたことにも...
そんなことに気づいたら
とんでもなく自分の軸が
全く違う場所(他人軸)に
設定されていたことに気づいて
何十年分のガッカリ感に襲われました。

そんなことを考えていると
芋づる式に思い出したことがあります。
それは、私がこれまでに受講した
身体や心に関する講座で学んだ中で
今、現在課題がある場合
(できないことやできてないこと)
「1つ前の段階の課題をやる事が望ましい」
といったことを教えていただきました。
最近は巷では、
「好きなことだけやる」とか
「ワクワクすることをやる」
など言われていますが、
好きなことだけすることは
生きていく時に難しいと思われがちです
で、私もそう思っていました。
ただ、私が学んだ
「1つ前の段階の課題」
というのは、おそらく巷で言われている
自分自身にとって
「好きなこと」や「ワクワク」
することなのではないかなぁ?
とふと思いました。
子どもの療育でも自立課題を行う時は
本人が今現在1人ででも自立して
楽しんでできる課題を
設定するように学びました。
それらを踏まえると
心地よいとか
気持ちいいとか
楽しいとか
ワクワクするとか
そういう気持ちでできる物事は
他者からみれば「無駄な動き」にも
みえるわけですから、
それをやり切きれば
今までできなかったことが

〝何故か知らないうちにできるようなってた〟

という未来に繋がることに
なるということなのではないかと思うのです
そして、その課題は
人によって違うし、違っていいし
自分が努力せず楽しんでできることから
自ずとできなかったことにも
チャレンジしてみたくなることにも
繋がる場合もあるのではないか?
そう思うに至りました。
で、私の場合には
今、半分引きこもりなのは
全然いい!ことになるなと思い
半引きこもり生活を
楽しもうと思ったのでした。

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