ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

何度でも

DREAMS COME TRUEの「何度でも」は
自分が行き詰まった時に折に触れて
何度でも聴いたりカラオケで歌っている
私は自分のことを良い悪い関係なく

「あきらめの悪い人」

だと思っている。
そんな自分の執着心が
嫌で嫌でたまらなくて
セラピー受けたり習ったりして
かなりマシになった。
むしろ執着心が薄れたことで
いろんなことに振り回されなくなった。
ただ、執着も良いように働くと
時に奇跡を起こすことがあるなと
思うことがあった。
それは、先日千秋楽を迎え
大相撲大阪場所で逆転優勝した
稀勢の里関のことだ。
私は相撲ファンではないし
稀勢の里関のファンでもない。
ただ、昨年末の横綱昇進を決めた時と
今場所での稀勢の里関の姿に
ただただ私は感動を覚え
尊敬の念を抱いた。
誰かの為に戦うことより
常に自分と戦ってきた人なのだなと
私は1人勝手に思って観た。
転んで怪我しても
タダでは転ばない体質なんだと
そう思えた。
多分私もそういう体質だと思う。

どんな壁が目の前に現れても
その壁を乗り越えるのかどうかを決めるのは
結局自分でしかない。
たとえ、手足が使えないことになったり
何かを失うことになって
後悔することになったとしても
最後の最後まであきらめず
挑んだ横綱の姿に感動した。

 執着は悪いほうに働けば
事件や犯罪に発展することもある
一方で良いように働けば
奇跡を起こすこともあるし
今までみたことのない景色が
みられることもある
誰かのアドバイスや案内は
本人の選択肢の一つにはなるけど
選ぶのは結局自分次第なのだ。
私は、横綱のように
挑んできた人生ではないけど
自分で選んだ選択で経験したことで
無駄な経験をしてきたが
後悔したことはない。
どっちに転ぼうが
その時の自分が選ぶことを
大切にしていたし
正直に選んできた。
たとえそれが間違っていたとしても。
しなくていい経験をしたとしても
その道を通らないと
出会えなかった人や体験の積み重ねが
今の私の土台になったと思うから。
そして、無駄だったと思う時期はあっても
時間の流れや時代の流れの中で
それらが肯定されることもあることを
私は知っていたからだ。
そして、自分の執着心と
折り合うことができるようになった今
何度でも挑み続けることと
もう挑まなくていいことと
も大分掴めてきたように思う
後は要らないと思ったら捨てるだけ。
また必要だと思ったら手に入れるだけ。
ただ、それだけの事に
罪悪感を感じたり
イチイチ振り回されなくなった
そんな自分になれたから
今はこれでいいんだとおもっている

 

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