ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

無駄も立派な発達の過程

無駄な動きというものは

人が発達していく上で

どうやら必要なことらしい

そうなると

私がこれまでにやってきた

 

無駄な行動

無駄なお金

無駄な学び


などは、肯定されることになる

他者からは必要ないと思われたことも

私にとっては必要だったということになる


目の前の人が繰り広げる

様々な「無駄な動き」は

発達にヌケがあるという 立派な証。

だから、止めなくても良いのだ

ほっとけばいいのだ

見守ればいいのだ。

その人にとって

必要な無駄な動きだから。

それと、その課題は

私の課題ではないのだから。

無駄なことをやり続けて

溢れるまでやりきれば

次のステージへ進むらしいけど

でも、同じ無駄な動きを

繰り返しやっても 溢れない人がいる。

多分私はそういう例だったと思われる。

愛着形成においてヌケがあったり

溢れる前や、やりきる前に

自分で調整をしてる場合もある

心のどこかに空いた穴を

見ないフリしてるから

溢れるまで感じキレない

そういう場合もある

そして、今在る現状が

都合が良いからという場合もある

それは、自分自身の

心と身体が望んでいることに

早く気がつくといいのに...

そんな私の思いも

無駄な動きを否定しているという

己の小ささを嘲笑う日々

 

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