ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

旧ブログ2016-11-06

☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より

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2016-11-06 15:20:02 | 日記

 

釣り

 

昨日いった鹿児島で久しぶりに防波堤の上によじ登り

裸足になって防波堤に裸足になり、足をぶらぶらさせて座って

桜島をぼんやり眺めていました。

防波堤の外はテトラポット

鉄のパイプでつくられたハシゴがあり、

テトラポットに降りれるようになっていました。

そのテトラポットの海側で若いお兄ちゃんがルアーで

釣りをしているのをみてたら

なんだか釣りたい衝動にかられました。

海辺の小さな田舎町に住んでいたし、

まだ家庭用のゲーム機もなかった当時でしたので

幼いころの遊びは、身体を使い自然の中で駆け回ったり、

生活に根ざしたままごと遊び、ごっこ遊びをしていたように思います。

そんな遊びの中には「釣り」もありました。

自宅の前は防波堤で、前日の刺身の残りやフナムシを餌にして、

浮きもつけない針と糸だけで

手釣りをしたり、夏は小アジが湾内に回遊してくるので

夕方陽が沈むころに合わせて、巻き餌を溶かし、サビキでアジゴ釣りをしていました。

30年くらい前は、サビキの針が5本ついてたら、その全てにアジがかかり

2時間弱でバケツいっぱい釣れる日も少なくありませんでした。

釣り道具にお金をかけずにサビキでなんでも釣れていたので、

釣り道具にお金をかけ、渡船代を払い、

瀬渡しで行く釣りや海の釣り堀を知った時は

こんな世界もあるのかとただただビックリしたものです。

釣り方も様々ありますし、釣り道具のブランド品で身を固め、

釣竿やリールに何万も払い

渡船代を払って早朝から瀬に渡り、

日暮れまで目的の大物を釣るという経験もしましたが

道具にお金をたくさんかけても釣れない時は全く釣れません。

大物が釣れるといわれる瀬に渡って釣りをしても、釣れない時は雑魚も釣れません。

実家の前の海では、お金をかけて釣りに来ているおじさんたちの横で、

おじさんたちの釣りたい魚をサビキでどんどん釣りあげている地元のおばさんたち。

どんな魚が何時頃にどのタイミングで釣れるのかは

地元のおばさんたちの方がよく知っていたように思います。

おばさんの釣り上げる姿を恨めしそうにみつめるおじさんたち。

そして、そんなおばさんたちの隣で私は釣りをしていました。

最近は、地元の人が湾内で網を仕掛けて採ってしまうようになったので

地元の人たちの釣ってる様子も少なくなりました。

この釣りのことだけではありませんが、どんなに高い受講料を払い学んでも

どんなに高い道具を使っても、どんなに高いオモチャを買っても

与える人の意図とは違う反応が返ってくるのは当たり前のことで

高いとか安いとか無料とか関係なく、

受け取る人のあり方や考え方がズレてしまうと

与える相手への響き具合や伝わり方の方向性が変わってしまうこともあり

それらが逆に不幸な現実へと導いてしまうこともあるように思います。

道具を揃えても、やり方を学んでも、どのタイミングでそれらを使うのかでさえ

自分で考えて自分自身が使ってみて初めてわかることもあります。

与えることも、教えることも、実は簡単。
後は受け取る側の意識の問題。
そんなことを考えるきっかけになりました。