ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

旧ブログ2016-07-25

☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より

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2016-07-25 17:25:16 | これまで

 

非言語コミュニケーション

 

私が生まれた当時、父方の祖母と聴覚障害のある叔母と5人暮らしでした。

聴覚障害の叔母は障害があったので

小学校の教育は受けていなかったと聞いています。

そして、そんな叔母は田舎のしがらみや

祖父母の考えで教育というものを受けずに大人になり

実家の家事手伝いをしたり畑仕事をしていました。

私が小学生までは兼業農家で父も母も外で働いていたので

私は1歳代で近所の保育園に預けられ、

聴覚障害の叔母が私のお迎えや子守を必然的にしてくれていました。

そういう環境下で私は十数年間育ちました。

きちんとした聾啞の教育を受けずに育った叔母とのコミュニケーションは

我が家でしか通じない手話というか、

ジェスチャーとクレーン動作での非言語コミュニケーションでした。

叔母は少しだけならカタカナを書いたり読めたりはできましたが

私が幼い頃には覚えたての文字で叔母と筆談しようと思い

叔母と一緒にひらがなやカタカナを書いて遊んだりしたようにも思います

でも、上手くいかなかったから、

文字を使っての筆談は私はあきらめたのかもしれません。

その当時の記憶をほとんど忘れてしまっているので定かではないのですが

もしかしたら聴覚障害だけでなく叔母には

知的な遅れもあったかもしれないなと思ったりもします。

叔母は私が高校生の頃に緑内障を併発し、

その後全盲になり施設に入所になりました。

叔母が聴覚障害だったことで、

うちでは非言語コミュニケーションの方が多く

うちの母は私や弟の思ってることを先読みし

会話を進める人だったこともあったのと

私自身も生育歴のせいなのか、

私自身の元々持っている特性なのかわかりませんが

コミュニケーションが異質になって、

みえない言語を感覚で読み取るという作業を

小さな頃からしていたことも私のコミュニケーション能力に

災いしてしまったのかもしれないと「聲の形」を読んで気がつきました。

そして、私たち家族が叔母との関係性で育まれた非言語コミュニケーションが

私の子どもが生まれた時にとても役立ったのは言うまでもありません。

子どもが赤ちゃん時代にとっても育てやすくて、

排泄もや抱っこして欲しい時、お腹が空いたり喉が渇いた時は

全て子どもなりのサインをだしているのを

私たち家族は気がつき要求を叶える事ができました。

なので、うちの子は自閉症ということも手伝って主語を伝え忘れます。

それは私たち家族が子どもの要求をする前に気がついてしまうので

子どもの音声言語での発達を妨げる要因にもなってしまっています。

(只今、家族総出で子どもが要求するまでわかっても手伝わないを取り組んでいます)

非言語コミュニケーションも汲み取り方次第では相手を怖がらせることもあります。

「なんで、何も言ってないのにわかるの?」

そういう事を言われたことは何度もあります。

でも、私にはそれは特別な能力でもなくて

身についたあたりまえのことでした。

でも自分が想定した相手の気持ちとズレはあることもあるので

それが汲み取り間違っていたり、押し付けになっていたことも

他者との距離感やイザコザになってしまったのかもしれません。

人と対話をするときに相手の気持ちにたったものの言い方をしなさいと

小さいながらに言われていたように思います。

でも、私の場合には非言語コミュニケーションでくみ取った相手の思いと

他者から発している気持ちのズレを感じてしまうことが

私自身も困惑させ、困惑したままで相手の気持ちを汲み取ろうとしすぎて

汲み取り方を間違えており相手を困惑させたりすることにもなったり

相手に嫌われることにもつながっていたのかもしれません。

相手の気持ちに寄り添うことはできたとしても

性格や周囲の環境、生育歴などによって

他者との気持ちのズレがあって当然だと

最近シミジミ感じています。

そこは、感じ方、考え方の「違い」であり

他者と自分の気持ちの「違い」に気がつけたことで私は楽になりました。

だからこそ、自分の気持ちをわかってもらえなくても

「知ってはもらえてた」だけで私の場合はそれで十分満足しています。

そして、同じ体験を通しても10人いれば10通りの気持ちになるから

だから、分かり合えないのはしょうがないし、

わかってもらいたいことに「しがみつく」のはやめようと思っています