ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

旧ブログ2016-07-24

☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より

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2016-07-24 06:00:51 | 感想
 

聲の形」を読んで

今日は朝から洗濯と掃除を済ませ汗をかき

その後は絵を描くために木製パネルにジェッソを塗った。

パネルが乾く間に、性懲りもなくTSUTAYAへ。

2015年の漫画大賞を受賞した「聲の形」と

今度映画化される清水玲子さんの「秘密」を借りたが

「秘密」は数ページ読んでやめた。

私は読んではいけないやつだった (°_°)

「聲(こえ)の形」全7巻は初めから最後まで泣きっぱなしで

リアリティのある人間模様の中に昔の自分を重ねながら読んだ。

とても複雑な気持ちでいっぱいになった。

聴覚障害のあるヒロインと主人公の元いじめっ子の男の子との

恋愛の話かと思ったら違った。

なぜ主人公が聴覚障害のヒロインをいじめたのかは

彼の本能的なものが

自分が生まれて初めて出会ったことのない未確認生物と思い

彼の本能が危機感を持ったんじゃないかと思った

だから、意地悪することで相手の反応をみたりするんじゃないかと思った

でも、相手の反応が自分の思った反応とは違う。

だから更に増長しまうのだとも感じた

それと、この本を読んだことのある全ての人がとは言わないけれど、

おそらくこの作品の中の登場人物の誰かに学生時代の自分を重ね

自分の弱さや汚さ惨めな気持ち、

罪悪感、羞恥心を思い出したのではないかと思う

私は、登場人物のほとんどの人の気持ちが

自分の中にあることがわかった。

読み進めながら、自分自身の過去を振り返り

加害者の時、被害者の時そして傍観者の時、

家族の時、母親として、娘として等

いろんな気持ちを思い出し、共感したり、

自分のいたらなさを悔やんだり

罪悪感を持ち、自分を卑下して生きていた学生時代を思い出し

号泣した。ただただ、涙が出た。

イジメてごめんなさいとか、いじめた子に謝ってほしいとか

助けてあげられなくてごめんなさいとか…

そういう気持ちでいっぱいになった。

お母さんごめんなさいとか、みんなごめんなさいとか…

私だけが悪いわけじゃないのに…とか 私が悪いのよ…とか。

漫画でこんなに自分の気持ちがはいってしまったのは

本当に久しぶりだった。

感動したというよりコミュニケーションについて

とても考えさせられる作品だった。

聴覚障害があるから、より良いコミュニケーションが出来ないのか?

イヤ、それは違うと思った。

健常者のほうがきちんと自分の気持ちを

相手に伝えられていると思いこんでると思う。

きちんと伝えられていないし、

ちゃんと相手の話さえ聴けていない人が多いなとも思っている

音声言語として耳に入っても、その言葉に含まれた相手の伝えたい意味を

きちんと汲み取ることができてる人が

この世にどれくらいいるのだろうか…とも思う

障害があるとかないとか限らず、自分はできてると思っていても

相手にきちんと自分の気持ちが伝わってないことに

気がついている人が多いのではないだろうか?

だから、すれ違ったり、イザコザがあったり、

相手を誤解したりするんじゃないだろうか?

喧嘩でさえ、上手にできなくなっている人も

多いのではないだろうか…

同じ一文でも、人それぞれにたくさんの思いが含まれていることもある

もちろん、含まれていないこともある。

言葉に重みを感じとったり、軽く聞き流せる時は

その時の自分のメンタルの状態も関係してくるだろうし

経験もあると思う。

コミュニケーションは1人ではできないのだからこそ

お互いに“聴くチカラ”も“伝えるチカラ”もどっちも大事だと思った。

それは音声言語として聞くというより、

相手の“心の聲”を聴くことを大切にできるようになれば

私の周りにも、もっと豊かな笑顔が増えるかもしれないと思った。

そして、相手に自分の気持ちを伝えるのに声だけではない

様々な方法で伝えられることを

たくさんの人が受け取れるようになるといいなと思った。