ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

旧ブログ2016-07-02

☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より

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2016-07-02 06:20:22 | これまで

 

3パターン

2年くらい前までは、私にも希死念慮があった。希死念慮は次の3パターン。“天国モード”、“地獄モード”、“なんとなくモード”の3パターン。

“なんとなくモード”の時は、大体夕方にやってくる。「ああ、死にたいなぁー。なんかわからないけど死にたい楽になりたい。」

“天国モード”は、日常のほっとした束の間の中でやってくる。「ああ、気持ちいいなぁ、今死ねたら、間違いなく気持ちいいだろうなぁー。」というもの

“地獄モード”は、夕方から夜になる時に、ガタガタと身体がふるえるくらいの恐怖にかられる。「怖くてたまんないよ!誰かそばにいてよ!誰かどうにかしてよ!」

“地獄モード”は、わけのわからない恐怖感と過去に起こした事への罪悪感とまだくることのない未来に対する恐怖感に襲われる。本当にそれはそれは怖い。貞子な んかよりも怖い。怖くてたまらない。自分でも何が怖いのかもわからない。その怖さの正体がわからないことも怖かったのかもしれない。貞子みたいにみえたほ うがよっぽど怖さの正体がわかるから、理解に苦しまずにすんだかもしれない。そんな時は布団にもぐりこみ、頓服を飲み、怖さを紛らわすように友人や相方と 電話で話をする。そうやって夜をやりすごしていた。
“なんとなくモード”か“地獄モード”での希死念慮のパターンの割合が多かったと思う。死にたくなった時の自分なりの乗り越え方は、お風呂にはいって頭をジャブ ジャブ洗ったり、お風呂でジャブジャブ音をたててゆっくり浸かったり、お湯にもぐったりする。その後は頓服を飲み、身体を温めて寝る。とにかく寝るひたすら寝る。眠れない時はヒーリングの音楽を聴きながら目をつぶるだけの時もあった。脳みそに流れてくるいろんな言葉や地獄絵図がとめどもなく流れこむ。そん な時はただただそれらを眺めている。そうしていくうちにいつの間にか眠ってしまっていたりした。それでもダメな時は、眠剤を使って眠っていた。
後は、大昔の友人にいわれた「勝手に死なれたら困る」という言葉に救われていた事もある。その友人は私が勝手に死ぬことで困るらしい(笑)本当に自分のことしか考えてないなって思えたのが私にとっては逆に救いになった時もあった。理由なんてどうでもよかった。ただ自分がいなくなることで困る人がいるという事は、私にとって自分の存在を感じれる唯一の事だったのかもしれない。そして、私はその友人以外に私がいなくなったら困る人を想像してみた。子ども、両親、 パートナー、少ないけど友人…。相手に聞かなくても困るだろう人たちがいた事で、私は死ねない理由があった。でも、死ねない理由があった事は正直苦しい時 もあった。
身体の事だけではなく、心へのアプローチも自分なりに自助努力でなんとかしていた。自分1人の中でがんじがらめになりやすいので、民間のセラピーを受ける などしてケアをしていた。そうして、少しずつではあったけれども、「死にたい」衝動にかられることは少なくなってはいった。そんなある日、“地獄モード”の希死念慮がやってきた。いつもなら、友だちやパートナーに話を聞いてもらう事にしているが、その日は友人もパートナーもどちらもつながらなかった。そして、 頓服だけは飲み、お風呂にもはいり、いろいろやってはみるが希死念慮は消えてくれない。どんどんどんどん、怖くなる。怖くて怖くてたまらない。自分が何をするのかもわからない。それもまた怖がる自分に拍車をかけた。そして、お布団の中でガタガタと震え、大声で泣いた。怖いっていいながら泣きじゃくった。そして、怖さの沸点を超えた時に、私は気がついた。

「ああ、なーんだ。私死にたいんじゃなくて、死ねなかった事も失敗って思ってたんだ」

と思ったら、すーーーーーーーっと希死念慮が消え、大爆笑になり、恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。私は基本的には真面目で完璧主義。自分の失敗も許せない。一度、ОDをした時に死ねなかった事がどうやら失敗体験で残っていたようだった。自分の場合は、死を達成できなかった事での希死念慮だったのだ と、(そんなとこまで完璧主義 汗)自分の腑に落ちてから、希死念慮は、ほぼほぼなくなってしまい、自分の生と死に対する恐怖も一掃されたのでした。