ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

私の趣味①ーお絵描きー

 自分には趣味といえるものがないと思っていました。でも、自分自身をとり戻してから1つずつ〝自分の好き〟を選びなおしてたら、これは趣味といえると思えるようになったのが、詩を綴ることとお絵描きとカラオケです。詩はこちらのブログでも紹介していますが、最近は『note〝言の葉あそび〟』にアップしています。私がどんな詩を書いてるのかご興味がある方はどうぞ。

 ということで、〝お絵かき〟も趣味ではありますが、実は10年ほど全くといっていいほど描けなくなってしまった時期がありました。描きたいけれどもなかなか描けなかったので、自然に描けるようになるのを待っていましたら、ここ数年の治療で治ってきた昨年あたりからまた絵が描けるようになりました。で、不思議なことが起こりまして、実は絵を描くのも線画はとても好きで色鉛筆での色塗りは苦手ではありませんでした。でも、筆を使った色塗りが実は苦手で自分が思ったように色塗りができていた感覚はずっとありませんでした。で、久しぶりに絵が描けるようになって色塗りしてみたら考える間もなく自分が思うような色塗りができるようになりました。自分でもビックリしたくらいです。最近の作品をこちらにいくつかアップします。※本格的に習ったわけでもなく、趣味程度なのであしからず…。

 

▼noteの自己紹介の画像に使った絵『水族館』
(木製パネルB2/アクリラガッシュ

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▼大好きな『クマノミいっぱい』
(木製パネルB全ル/アクリラガッシュ

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▼自身のアイコンにしている『太陽と月』

(木製パネル/オイルパステルとリキテックス

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▼『クマノミたくさん』
(紙/色鉛筆)

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▼『カラー』(紙/色鉛筆)

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私の諸々のこと。

私の簡単な自己紹介については「note 保護日和」をご覧ください。

 

note.mu

 簡単な自己紹介に合わせて、私(sorahitoumi)は、ごく普通の一般のお母さんで当事者活動も行っていないのに、発達障害や療育のことに詳しいなぁと思っていらっしゃる方もいらっしゃると思いましたので、自己紹介も含めて記事にしておこうと思います。

はてなブログは、日記の感覚で覚書程度の記事にしているので、こちらのほうが掲載するには適しているかと思いこちらにアップすることにしました。 

私はなんでもハマるとやりすぎる傾向にあり(自分ではやりすぎてる感覚は全くないのですが…)息子が障害と診断されてからは至極熱心に発達障害のことを学びました。うちの子は自閉症スペクトラム(カナータイプ)だったのですが、当時、軽度域といわれていたタイプ(アスペルガー高機能自閉症、PDD)※この場合には知的な遅れを伴わない又は知的な遅れが境界域の講座と中度や重度域いわれていた(カナータイプ)この場合には知的な遅れを伴っているの二通りのケース別に講座がありました。それと発達障害自閉症スペクトラムADHD・LD・PDD・知的障害・…etc)の講座の場合にはなるだけ参加していました。

 うちの子は自閉症スペクトラムのカナータイプでしたが、自閉症スペクトラムという障害の捉え方を、その当時学んだTEACCH関連の講座で軽重はないといった考えでしたし、私も自閉症という障害に軽重はないという考え方が腑に落ちていたので、自閉症スペクトラムの講座はどのようなタイプの講座でも受講していました。なので、療育に関することも、当時の息子にはまだ必要なかった講座も受講していたのですが、今考えると今できないことを、その当時に先行投資をしていたので全く損してなかったなぁーと思うにいたっています。

 息子のために受講したようなものでしたが、当時、自身が思春期から〝ぬぐいきれない生きづらさ〟を感じていた頃だったので、様々な講座を受講したことで自身についても疑い始めるきっかけになりました。ですので、講座を受講することは、私という人間を知るための学びでもありました。

 さて、この当時受けた療育に関する認定の資格をいただけた講座は、TEACCH、PECS、ソーシャルストーリーズTMの講座を受講し一応資格を持っています。現在は再受講を受け更新しないといけないみたいですね。あの当時いわれたのは、講座は受けたら一生モノになるっていわれてたのです。でも、

「なんだ!再受講しなきゃいけないルールになったら、一生モノでもないじゃんって思っている所存です(ぶ)」

といいますか、発達障害の講座で声高に支援者がおっしゃられていたたのは『一貫性のある支援を!』だったのですけど。その発言なさっていたご本人が一貫性のないことやってやっしゃってるのねーって思うわけですが、その界隈のみなさんは疑問に思わないのかなぁと私は思っているのですが、みなさん何も感じらっしゃらないのでしょうか? 講座中にその件について言い訳のようなことはなさったのでしょうか? 最近講座は受講できていないのでわかりませんので、どなたかツィッター上ででも教えていただけましたら幸いです。

 上記の講座以外での学びは、身体面は、資格はもっていませんが自主企画でコンディショニング講座を3度行ったのと発達支援コーチの初級の講座を受けました。それと野口整体の活元運動へも参加したことがあります。後、心理面は自身のメンタルを癒すためと言語体力とコミュニケーション力をあげるために、認定の資格になりますが、TCカラーセラピーという講座を受講し、マスターカラーセラピストの資格を持っています。

 そして、自分自身10年程、2次障害の治療を行っていたので、それなりに自身が飲んでいた向精神薬のことや病気に関することはネットや著書を読んだりした趣味程度の独学です。3年弱前から再度2次障害の状態が悪くなったことで折に触れ神田橋先生の診察を受けていて向精神薬から漢方に切り替えたので、食養生に関してはツィッターで流れてくる中医学関連のツィートを読んで生活習慣や食生活もゆるっと気をつける参考にさせてもらっていました。自己啓発系の講座や講演会も数回は参加したことがあります。オカルト方面は自身の霊的体験と自身の身の上に起こるオカルト現象を紐解くためにネットで情報を読んだりしてるのと、数冊の著書を読んだ程度です。

 上記のような学びとさまざまな経験が今現在の私の土台になっています。あっ黒歴史もそれなりにはあるのでサバイバルスキルが高くなったし、転職も人よりも多いし、1人の女性として恋愛も結婚も出産も体験しました。なので、有名な発達障害の当事者の人たちとは違って、私は有名でもない当事者なのですが、同じ発達障害の当事者の中でも稀な存在なんじゃないかと思っています。自慢にはならないことなんですけれどもね。。。

 また長くなってしまいましたが、私という人間の土台になっていることを、ざっとひとまとめするとこんなところですが、これでも自分では浅い知識だと思っています。まだまだ足りないって思っているのですが、もう新しいことはなかなか覚えづらい年齢になってきておりますので、なるだけいれないように心がけてアウトプットに徹している昨今です。

※リアルな場所で自分のことを説明するのがメンドクサイのでここに掲載しておきます。

今日の空

1月が終わって今日から2月。

先月の時間の経過は早かったような

短かったような…

今年は寒いカナーと思ってましたが

想定していたよりも

暖かい日が多いなぁと感じています。

 

▼いつぞや作った卵焼きサンドイッチ

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昨年末就職先がみつかり

今年に入り久しぶりに働いています。

体調や身体を痛めることなく

とりあえず遅刻することもなく

お勤めできています。

息子には、私が働くことの意味を伝えたり

会社の場合は遅刻できないことを

伝えたりなど何度か説明したら

よくわかりませんが朝起きて

なんとか無事学校には少し遅れてますが

私は遅刻せず通勤できています。

 

今私がどんなお仕事をしているのかは

こちらではふせておきたいと思いますが

実の所、自分が一番苦手なことで

お給料を貰うことにしました。

お陰様でいろんなことに

気がつくことになっており

リハビリにもなっています。

しかもお給料がいただけるのですよ!

スゲーって思ったし

有り難いなーと思います。

PECSやTEACCHの

ご褒美システムを知ってたことが

自分自身のSSTになってて

なんか、ちゃんと学んでいてよかったなーと

そんなことを思う毎日です

※ただ、ちゃんとお仕事できているのかわかりませんが…苦笑

 

私は働くことが好きです。

お金をいただくから3倍働かなきゃとか

役に立たなきゃ―って思って

働いていた時期もありましたが

自己啓発やスピリチュアル系の

教えのようなものを知り

ドツボにはまってしまったことがあって

自身の働き方について

自問自答していた時がありました。

最賃で働いていた時もあるし

B型作業所でお給料が

月収1万にも満たない時もあるし

無料や安価でチラシ制作を

請け負ったこともあります。

でも、それは私にとって

社会にでる前の全部がリハビリだと

考えてのことだったので

働いた分の対価をいただかないことを

あまり深く考えていませんでした。

好きなことだし得意なことだからこそ。

昔5分でチラシ制作を終わらせたことがあって

それがお客様に好評だったことがあって

デザイン料をA4サイズ1枚

数千円いただいたことがありました。

でも、それでも安価です。

普通なら数万になる業者もあるので。

今のお仕事は1時間働いて

最賃よりは高いけれど

世間一般の普通の金額だと思われます。

で、5分で数千円と

1時間800円台のお仕事は

随分お仕事の内容も違います。

それでも、今のお仕事が嫌いじゃないし

今のところ苦ではないです。

※道具が重いものがあって自分は不器用なので扱いづらいのがちょっと不便…なのと、感覚過敏なのでうがい薬でうがいしなきゃいけないのが苦手です。。。

 

私の価値観が変わったからか

昔なら辞めてしまうだろうところですが

私がなんで昔仕事を続けられなかったのかは

仕事の内容が好きとか嫌いとか

そういったことが

〝問題〟

ではなかったことに気づきました。

そして、なんで私、この仕事を

今まで嫌煙してたのだろう…とまで

考えるようになりました。

ようは、一般的には嫌がる人が多いし

割にあわないと思うのだろう…

そう思ったりしています。

で、私は変人なので

むしろ何も思わない自分に気がつき

〝ああ、私だから苦に感じないだけだ〟って

思うようになりました。

なので、私をモデルケースにするのは

やめたほうがいいと思うので

お仕事の内容は控えさせていただきます(笑)

なぜなら、発達障害の有無に限らず

 

皆々さまとは

生き方の〝前提〟も

在り方の〝価値観〟も

違いすぎますので…

 

今日はこのへんで

 

今日の空

雪が降るかなぁと思ってましたが

こちらは雪が降ることもなく

今日は全部青い空な

晴天に恵まれました。

昨日買った紅ほっぺ

とても美味しかったーーー

 

▼納豆&梅干しのっけた白おじや

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先日アップした『先着1名様問題』について

過去を振り返りながら文字起こししてて

療育に熱心だった頃の自分が

とても偏っていた自分のことを

思い出しながら笑っています。

スケジュールや手順書の

絵カードを制作するのに

看板屋時代のスキルを活かし

A4サイズの用紙を効率よく使うために

トンボをいれてカッターで

手切りをしていました。

その頃の私は、売り物でもないのに

1ミリのズレも許せない性分だったので

失敗したら必ずやり直していました。

完全に狂ってました(苦笑)

でも、今は少しは気になっても

もう一度作りなおすといった

〝こだわり〟はなくなりました(笑)

あの頃から10年近く経った今の私は

1ミリのズレが許せることになって

それからいろんな面で視野が広がり

楽になりました。

考え方は多分さほど変わってはいませんが

価値観が随分変わってしまったことで

全方位が敵でも生きれるくらい

強くなったなーと思います。

あっ違った。

よくわかりませんが

私も知らない皆々様に

 

強くしていただいた

 

ようです。

お子様もパートナーもご健全で

お金などにも困らず

何不自由なく暮らしていらっしゃる

皆さま方からすれば

生活保護世帯の我が家や

私自身のことを不憫に思って

可哀想に思ってくださってるかも

しれませんが

我が家はこれでも〝幸せ〟でございます。

お金がそれなりに自由に使えたし

美味しい物を食べていた時もあるし

海外旅行に興味はなかったけれど

一度は海外旅行にもいったことあるし

それなりに賞をいただいたこともあるし

仕事も好きな仕事をしてたこともあるので

それなりに幸せだったんですね。

でも、その当時の私は

全く満たされていませんでした。

占いにばかり頼っていましたしね…。

で、今生活保護世帯になり

とりあえずお金に困ることはなくなりました。

ただお金があるけれども

自由にどこそこ出かけることができず

息子のストレスがそれなりに溜まっています。

それでも、今年はインフルエンザが

大流行しているのでその理由を伝えると

パニックになることもなく

とりあえず、納得して待ってくれています。

こういう時、月間スケジュールを

続けてきたことはよかったなーと思います。

そして、わりと〝幸せ〟も感じられています。

 

パートナーがいて

子どもにも恵まれて

家族みんな健康で何不自由なくて

一軒家に住んで

年一には家族旅行に行ったり

美味しい物を食べたり

友だちとランチに行ったり

ブランド物のバックを持ったり…

そういう生活が幸せの象徴だと

思っている人たちからすれば

我が家は可哀想に思われるかもしれませんが

生憎それなりに〝幸せ〟を

感じられており満たされています。

己の本当の欲にも気がつかないまま

他人軸の盛り込まれた〝幸せ〟を獲得するために

毎日多忙を極めながら

働いて寝るような生活をして

それを得た時に束の間の〝幸せ〟で

満たされている人たちよりも

私はよっぽど幸せなんじゃないかなぁと

自負しています(ぶ)

 

隣の芝生は

青くみえても

すべてダミー

なんですわよ。

奥様♡

 

きょうはこのへんで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死にたくて死にたくて震えていた時のこと

 えっと、タイトルがなんだかアレですが…(苦笑)今絶望で真剣に悩んでいらっしゃる方からすれば、心ないタイトルだと思います。すみません。でも、私もそういった絶望期は何度もあって何度も踏ん張ってきたし〝希死念慮〟の沸点越えも体験しました。『死にたい』という言葉で頭がいっぱいだった頃よりも、自分自身でも一番危険だと感じたのは〝生きる意味〟を感じなくなった時でした。

 で、ここ数年の猫パンチ療法(わかる人にはわかる遠回りな認知行動腰抜療法)で最終的に希死念慮がぶっとんだので、現在この世に存在しておる所存です。オス。

 希死念慮に関する記事は過去記事にいくつかありますので、ご興味のある方は記事検索で検索して読んでみてください。興味なき方はチャンネルはこのままでどーぞ。

 さて〝死にたくて死にたくて震えていた時〟の頃より、自分自身でも一番身の危険を感じたのは『生きる意味』を感じなくなった時でしたが、えっと私の場合には、他の人たちとは価値観が違いすぎるので、なんでそう思っていたのかは割愛させていただきます。なんでかというと、その人の深層心理にない心の状態を醸すことが〝害〟になることもあるからです。すみません。

 なぜ、今回この記事を残そうと思ったのかというと、自分にとって大切な人に自死というカタチで先立たれた人たちの思いを知ったからです。自分の場合には、死ねなかったということになるので、先立たれた方たちと死ねなかった自分との違いってなんだったのだろうと思ったことが頭をよぎったからです。

 で、先に申しておきたいのは、自死することはやっぱりやめたほうがいいと思っている派です。残された人たちにとってのことまで考えると。ただですね、あの状態に陥った時には差し伸べられてただろう手とか声は届いてはいたけど、ただ天国への階段のステップを短くしたにすぎないようにしか感じませんでした。だから、ただただその苦しさから逃れたいっていう気持ちは仕方がないし、ムシロ私は自死を貫いた人たちのことは敬意を表したいです。私にはそんな勇気も覚悟もできなかったし、生き残った自分が偉いとか凄いとかも思えなかったです。それも罪悪感の養分にしていた時期もありました。死ねなかった自分を責めるほかありませんでした。とにかくどんなことも自分責めしていたんですよね。その時までは。死への階段のステップを1つずつ登ろうかとしている時に、私の脳内で起きていたことは、死ねない理由を自分でつくっていたことに気がついたことからでした。

 

「息子がいる。どうしよう」

「多少なりとも借金がある。どうしよう」

「私が死ぬことで両親が悲しむかもしれない。。」

 

死んでしまったらそれこそ、その苦しみから現世の自分は一時的に逃れられるわけですから、それでもいいと思うのです。ただ、私の場合には、死にたいって思っているわりに、死ねない理由が頭をよぎって掻き乱していました。で、そんな中途半端な自分に苛立ちとジレンマでいっぱいになって、また自分責めするといった問題をすり替えながら負のループの世界へ迷い込んだのです。で、なぜ私がそこから抜け出せたのかというと、さんざんそのことに向き合った矢先、ふと気がついたのです。

『ああ、生きるってことは、生きる意味を感じなくても自分の生を全うしなきゃ、私の願いは叶わない。だって、私もう二度と人間には生まれ変わりたくないから。』

で〝自死したら人には生まれ変われない〟といったことを誰かに教えていただいたのですが、私はそれは違うんじゃないかって思ったからでした。何故なら、輪廻するのは自分自身の魂の課題をクリアするために生まれ変わるんですよね???だとしたら、自死したのだからこそ、また人間に生まれ変わらなきゃオカシな話じゃん。って気がついたのですね。で、そんなことに気がついたことで、私はどんなことになっても、自分の命を全うすることだと思い今日にいたります。

 希死念慮の件は昔受けた発達障害の講座の中でも少し話しがありました。その時の講師の先生がおっしゃられたのは

 

〝死にたいといってるけど死にたいんじゃない。

 死にたいくらい苦しいってことなんだ〟

 

といってらっしゃったので、その当時に希死念慮があった時はその言葉を呪文のように繰り返していました。希死念慮をなくすために。

 そして、ここ最近思うのは、あの時死んでしまってもよかったのかもしれないけれど、生き残れてよかったなぁと思うようになりました。仕事もパートナーも失って友だちとも縁を切って…。誰かに操作されてる感を否めないけれども、その正体はわからないし、その証拠はつかめない。だからこそ苦しかったのですが、これこそ操作してる人の罠だと視えたので、必死で耐えました。どこにも向けられない怒りや悲しみ、苦しみのベクトルを自分にしかむけられない時は本当に殺してもらったほうが楽だという気持ちにもなりました。それは体験した人にしかわからないことです。なので、死んだらダメって安易に呼びかけるのは簡単だと思うにもいたりました。で、私は思うのです。自死で天を目指した人たちは決して周囲の人を苦しめるために死んだわけではないと思うのです。逆に自分が死ぬことで大切な人を守れることもあると思ったのです。

 それでも残された人たちにとっては、苦しみの種を残された思いでいっぱいになってしまうことになってしまうよねとそんな風に思うようになりましたし、死ねなかった自分にもバツをつけていた私だからこそ、死ねなくてもよかったと〇をつけれるようになったことが自分責めから解放されたといっても過言ではありません。

 私の場合には自分で気がついただけに過ぎないのですが、それでも、あの暗闇はその人にしかわかりえないものだということだけは、同じように思います。苦しいから自分でもそうするほかなかった。ただそれだけなんじゃないのかなぁと思ったりしています。

今日の空

昨日は風がぴーぷーと吹いて

久しぶりに寒かったし

週末は大寒波が西日本まで

襲来するということでしたし

また県内で地震も起きたので

私の中では災害警戒レベルが

上がっていたので

それなりの用意をしなきゃって

思っていましたけど

なんか、今日は晴れてるから

想定が外れてこちらは暖かいです。

 

▼久しぶりのテントウムシ

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梅の花が咲きはじめておりますが

毎年このくらいあたりから

すこぶる体調不良に見舞われていたのに

今年はそんなに悪くありません。

数年前から生活習慣や食生活をちょっと変え

寒暖の差を感じるようにしてきたことも

よかったのかもしれません。

今年は秋から冬にかけて

みかんがとても美味しく感じていて

ミカンを結構たべていましたが

最近はイチゴを食べています。

今年はなんか安い気がするし

味も美味しく感じます。

イチゴもいろんな種類がありますよね。

なので、今年は食べ比べてみようと思って

4種類のイチゴを食べました。

 

『恋のぞみ』『さちのか』

『ゆうべに』『さがほのか

 

食べ比べてみてわかったのは

やっぱり種類ごとに味が違いました。

(あたりまえなんですけど…)

で、私が好みのお味は

『さちのか』です。

ちょっと実が固くて甘酸っぱいタイプ。

イチゴならどの種類でも

よかったりはしますが

神田橋先生の著書の中にあった

「きもちいい」

を大切にするようになってから

「きもちいい」だけではなく

〝快・不快〟どちらの感覚も

中途半端で終わらせないように

努めてきました。

松果体へのアプローチには

〝快・不快〟をやり切ることが

望ましいらしい話を聞いたこともあったので

それをやり切るには

日々の小さな選択の中でも

身体だけではなく

意識的にも感じるほかないと思って

これまで1つ1つ大切に味わってきました。

で、『きもちいい』という感覚を

大切にしはじめたら

私の場合にはいろんなことが

誤魔化し効かなくなったんですね。

それは、衣・食・住にかかわらず

人間関係においても

生き方においても…。

なので、とりあえず間に合わせで

購入したり、選択することが

なんか気持ち悪くて仕方がなくなっちゃって

ある程度までのこだわりは捨てられるけれど

日々の小さな選択ほど

こだわらなきゃダメだってことに

気がつくことになったわけです。

そうなると、付き合う人なんて

私の場合限られてしまいます。

これは困った。とおもいきや…。

人と自分の〝価値観の違い〟とか

〝前提の違い〟があることを知ったことで

付き合う人は限られても

なんだかいろんな人たちと関わっても

大丈夫になっており

すげーなーって思っている次第です。ハイ。

他者との対話って

エネルギー交換じゃないですかー

で、人によってはエネルギーの質が

合わない人もいて

私の場合にはそれが体調不良になることも

あったのです。

受け取りすぎることでダメージとなり

体調不良に見舞われていました。

で、最近、ちょっとモヤっとすることがあって

で、なんで自分はモヤッとするのかを

ちゃんと感じつつ眺めてみたんです。

そしたら、

 

〝ああ、エネルギー交換なんだから

 循環させようとせずに

 右から左だか左から右だかに

 受け流せばいいだけやーん〟

 

って気がついたんですね。

で、それと、私はそのエネルギーを

自分の中に取り込んでいたことにも

気がついたわけです。

だから、しんどくなってたのかーって

目から鱗でした。

それと、スピ界隈のエネルギーワークでは

伝授する人(媒体になる人)は

パイプになるだけだとか

筒になるだけって教えていただいたのですが

これが、ですね、難しいなぁって

ずっと思ってたんです。

で、この件で気がつきました。

私の中ではわかったけれど

まだ言語化にはいたっていません。

でも、自分の中ではそういうことだったのかー

なーんだーって思っています。

言語化した暁には記事にできれば

いいかなーと思っています。

 

きょうはこのへんで。

 

 

 

 

先着1名様問題④ーさいごにー

さて、このシリーズもいよいよこの記事で最終回になります。私の伝えたいことが1人でも多くの人へ伝わっているといいなぁと思っています。

 『先着1名様』という言葉は知ってはいたものの、イマイチ私の中で腑におちていなかったのは、息子のエコラリアの件で腑に落ちたことで気がつきました。わかってたつもりだった自分が恥ずかしいです。

 息子のエピソードの場合には〝聴覚〟に関してのことになりますが、この『先着1名様問題』が五感のそれぞれで起こっていることだと捉えると、自閉圏であるがゆえに、ものすごい膨大な情報量が脳内にほどよく残る間もないままインプットされていき、情報の整理統合に不具合があることから、認知はしてるけれども(見えている聞こえている状態)それらが一体どのようなことを意味しているのかはわからなくなってしまう、いわゆる常に混沌としてしまうのだろうと思うのです。だとするならば、そりゃー混乱して当然ですし、知的な遅れとなってしまうのは仕方がないことなのだろうと思うのです。ただ、自閉症が伴う知的障害の場合と純粋な知的障害の場合では、恐らく発達の〝のびしろ〟は良くも悪くも自閉圏が伴っているほうが広くなるんじゃなかろうか?と私は思っています。

 見えていて聞こえていても、それらの情報がより良く脳に留まらない状態であるとするならば、わかっていてもできなくて当たり前だとも思うのです。しかも〝視覚〟と〝聴覚〟は大脳新皮質にとって知識の栄養だと私は考えています。その栄養が複雑に絡み合いその人自身の知的な発達へ促される源になるのだとするならば、〝視覚〟と〝聴覚〟からの情報は、とても重要案件になると思うのです。だからこそ、その二つの情報処理が凸凹つまり不具合が起きているのであるなら知的に伸びるはずがないと思いませんか? 

 視覚的な認知についても、その人の幼い頃からの見え方の過程次第では、LD的な情報処理なのか、自閉圏的な情報処理なのかでは、アプローチの仕方や支援のスタイルは違うものになるのが当然だろうと私は思うし、自閉症とLDが合併しているといわれている人の場合には、自閉圏であるがゆえの見え方の特性もあることから、検査の方法も工夫しないとおそらく誤診されてしまうことになると思うのです。

 見え方に関しては、息子の場合には幼児期の頃、鏡文字を書いていたことがありました。幼児期には模倣している場面は少なかったのですが、小学生高学年になり、鏡合わせの模倣が上手くなったと同じ時期には、いつの間にか鏡文字は書かなくなっていました。それと、うちの子以外のお子さんのエピソードになりますが、そのお子さんは自閉っ子で知的な遅れを伴ってはいたと思われますが、それなりに読み書きできるお子さんでした。そのお子さんと一緒にお絵かきをしている時、ひらがな50音を縦書きで書いたものを渡すと、そのお子さんもひらがな50音を書きはじめました。でも、その書いた文字列が私が書いた文字列とは左右逆転していたのです。私が書いたのは盾に『あいうえお~~ん』までの文字を右側から縦書きで書いたものでした。で、そのお子さんは左側から縦書きで50音を書いていました。ただ、鏡文字ではありませんでした。でも、そのお子さんの幼い頃からの見え方の育ちの過程は私にはわからないので一概にはいえませんが、自閉圏の特性でそのお子さんの趣味趣向やこだわりといった特性が織りなすアウトプットの方法かもしれないなぁと思いましたし、他にも何通りかは考えられるなぁと思いました。

 そのお子さんの場合、もしかしたら全ての文字が鏡文字でみえているけれど、自分で意識して見えてる文字を整えて書いているなら、LDも併存しているのかもしれません。仮にLDが併存していない純粋な自閉圏だとするならば、ある時期まではずっと見えてるまま文字をアウトプットするんじゃないかと思うのですね(超個人的見解です)もし、純粋なLDの人の場合には、見えていてもインプットする時に正しい情報でも、短期記憶の時点で不具合が起きてしまうのではないのかなぁ?と思うので、何度でも書いたところで憶えられないんじゃないのかなぁと思います。ただ、純粋なLDであるならば自閉圏があることから起こる聴覚の不具合はないと思われるので、話し言葉での知識の獲得はできるだろうと思うので、聴覚からの情報から汲み取る力で学習面はなんとかなってしまうんじゃないのだろうか?と思います。そして、LDもイロイロなタイプの方がいらっしゃるみたいですが、私が10年以上前に講座で習ったのは、LD又は学習障害は『読み書き』にだけ不具合があるといった説明でした。でも、私が知る限りではこの当時のLDまたは学習障害といわれた当事者の人の中には。コミュニケーションの不具合もあるという方が多かったのですよねぇ。実のところ…。なので、私はその当時からLDに関しての見立てには、いささか疑問を感じていました。なんていうか、『不注意と忘れ物=AD/HD』となるように『読み書きに不具合がある=LD(学習障害)』といわれてるだけのように感じていました。

 原始反射のことを知ってから、私が長年感じていた視覚的な不具合は、LDと自閉圏の見え方ではやっぱり違うんじゃないかといった考えに至りました。それに、発達障害の人の中には〝共感覚〟が併存しているケースも多少なりにはあるので、色弱色盲又は弱視とはまた違った見え方になってしまうこともあるし、逆に共感覚だと思われてて、色弱色盲だったりするケースもあるように思います。

 これまた、知人のお子さんで、中間色が全てグレーの濃淡にみえていたお子さんがいました。そのお子さんがその色の違いをどうやってみわけていたのかというと、グレーの濃淡で憶えていたのだそうです。ただ、その中でも何色だったか覚えていませんが、濃淡では区別ができない中間色があったようでした。そのお子さんは記憶力に長けていたお子さんだったこともあって、知的な遅れとはならなかったようでした。そのお子さんの場合には、当時いろいろな微妙な診断がついていましたが全て軽度でした。だからこそ、幼児期の段階から家庭でも頑張って療育を行っていらっしゃってました。それは、そのお子さんだけじゃなくて、ご家族皆さんで取り組んでいらっしゃったこそ発達をとげたのだと思います。

 私がリアルに知っているケースは我が子を含めて数名のエピソードになりますが、シンプルに考えてもLDじゃない人がLDとなっていたり、自閉圏なのにLDと診断をされてしまったり…。本人がどのように診断の場で伝えるかでも変わってしまうと思うのです。これが話し言葉を持たないお子さんの場合には、相対的な評価になるわけですから、本人の身の上に起きていることからズレてしまうのは当然だと思うので、初見やたまに診察するだけでは、その人本来持つ特性の不具合を見極めるのは、結構大変だしズレテしまうんじゃないかって私は思っています。それこそ、障害の特性が顕著に現れやすいのは日々の生活の中だと私は思うので、たまの診察で逆にわかるほうが恐ろしいことだなぁと思ったりもします。そういったことから、ドクターによって診断名が変わってしまう人がいるのは仕方のないことなのかもしれないとも思います。それに精神障害も併発しているなら、更に見立ては困難になるだろうと思いますし…。

 ああ、なんかずれている…。

 このように、見え方の特性が異質なことに加え、それらを認知する時に『先着1名様問題』も併存しているとするなら、知的に遅れることになるのが必然だと思うわけですが、この記事の初めの方に記述しているように、大脳新皮質の養分になるだろう〝視覚〟と〝聴覚〟へのアプローチというのは、身体からだけのアプローチではうまくいかないようにも思うのです。それは、前述にあげた特性があるからだけじゃなくて、原始反射など他の不具合があることから、意識的に変えるということを行う必要もあると思うからです。だからこその視覚支援だったり、他力が必要になるのだと思います。それが認知行動療法やSST、ABA、PECS、TEACCH(構造化された支援)などになると思われますが、それらの使用を謝ると支援ではなく、ただ単に〝情報操作〟になると思うのです。その〝情報操作〟はある一定の時期又は限定された場面では有効かもしれませんが、本人の主体性の芽が出始めた時にはその人そのものの生の在り方を変えてしまうことになり、闇の世界へ誘う入口になってしまうように思うのです。ですので、認知行動療法などは本人が〝意識的に変わりたい〟と思った時だからこそチャンスでもあるし有効になると思います。それに大脳新皮質は〝意識〟が得意分野になるわけですから、意識的に自分自身へ変化することを問いかける意味では認知行動療法もあながち悪いものではないと私は思います。ただ、認知行動療法に限らずどのような療法もその人の主体的な活動を萎えさせたり、望ましい行動へ変えようとするようなことを、回りくどい方法で気がつかせるような行動療法は、人によっては、それが毒になってしまうように私は思っています。その人本人の中で起こっている出来事は、たとえ他者からは妄想や嘘のように感じても、その人にとっては事実です。なので、その本人の身の上で感じて起こっている出来事がたとえ現実から乖離していたとしても、それが事実なのか妄想なのかを認めるのは本人が気がつくほかありません。なので、その人の身の上で感じて起こっていることは認めつつ、現実に起こっていることは伝えるべきだと私は思っています。ですが、私の場合には、嘘をつかれてもみぬいてしまう体質でもあったりするので、私のようなタイプの場合には、嘘も方便という言葉は通用しないってことを覚えておいてもらえたらいいんだけど…。といつも思っています。(これでも、かなりスル―してるのですが…)

と、短めに終わるつもりでしたが、結局だらだらととりとめのない〝さいごに…〟になってしまいました。すみません。覚書程度で記事にしていますのでご了承ください。

最後まで読んでくださった方。ありがとうございます。この記事を読み何か1つでも皆さんが気がつくきっかけになると嬉しいです。