ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

東側の空がオレンジ色に

染まりはじめました

今日はなんだか寒いです。

年明けから3日目の朝

あけまして
 おめでとう
ございます☆

今年もゆるゆると

ブログを綴っていこうと思います。

昨年同様よろしくお願いします。

 

▼霜おりてます。寒かハズ。。。

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年末年始は人生初働いています。

考えてみると45年生きていて

年末年始を家族と共に過ごさなかった年は

一度もありませんでした。

46度目の年末年始

私は1人で過ごしました。

いやーーーー全くといって

〝寂しい〟

なんて微塵も感じませんでした。

働いてるのに何故だか

お休みみたいなのです。

ああ、そうか!

私にとって非日常になるから

仕事なのに仕事ではなく

感じているだけなのかもしれない…。

なんてお得な思考の持ち主なんだ私(笑)

ただ、期間限定だからこそ

楽しめているので

毎日働きそれで生計を

たてていらっしゃる人たちには

頭が下がる思いでいっぱいになりましたです。

本当に現場は大変。

以前、働いていた会社でも

現場の人たちの大変さや忙しさに

直面していました。

少しでも早く少しでも楽に仕事ができて

お給料もそれなりにいただけるには

どうしたらいいんだろう…と

いつも頭の中をかけめぐっていました。

だからって、ただの一社員で

僕のような兵隊だった私に

なにかできるワケでもなく

自分の仕事を早く覚え成長して

現場で役にたつ人になることや

体調を崩さないこと

1人だけで仕事をしようしないこと

いろんなことを私なりに

気をつけるほかありませんでした。

でも、その当時の私は

まだまだいろんなことに雁字搦めになって

自分に溜め込んでいたと思います。

基本的に私は〝ドジ〟だし

〝忘れる〟特性を持ち合わせているので

 

『いかに他者に迷惑をかけず

 与えられた仕事をこなすか』

 

がずっと課題でした。

で、いろいろ考えあぐねた挙句

自分にできることなんて限られているし

完璧にできることが望ましいけれど

にんげんだもの

間違ってしまうこともある

だから、こんな自分にできることは

1つ1つの物事に対し

誠意を持って最善をつくすこと

ぐらいだなぁーなんて思いながら

仕事のモチベーションを下げないように

気をつけていました。

2年程療養をしていたので

長時間の勤務なんてやったこともないし

今回のお仕事はほぼ初体験。

体調不良にならないか心配してましたが

『安ずるより産むが安し』って

こういう事をいうんだなぁーと

思った次第です。

そして、私の強みは

プライドを捨てられること。

人生の移り変わりの中に応じて

自分の生き方を変えていける

柔軟性を持っていること。

人と同じことを好まない性質が

もたらす恩恵は私にとって快の喜びであると

気がつくこともできました。

人が遊んでいる時に

私は仕事してるか休んだりして

人が仕事してたり休んでいる時に

私は遊びたい。。。

なぜなら、渋滞とか人ごみとか苦手だから。。。

だからですね、

自己受容をするってことの意味は

自分自身の〝強みと弱み〟を知り

認めることだけじゃなくて

自分自身が楽にのびのびと生きられる

世界の扉を開けるヒントでもあるのです。

だから、〝自己受容がーーー!〟と吠えてる人たちは

全てにおいてネガキャンになっちゃう脳みそだと

早く気がついたほうがいいと思います。

そういう人たちがまず最初にやることは

 

『脳みそ改革』

 

まず必要なのかもしれませんね(ぶ)

 

きょうはこのへんで。

 

 

今日の空

おはようございます。

朝6時をすぎたのにまだまだ真っ暗です。

早いもので、今年も今日で終わりですね

残りの時間良い年をお過ごしください。

穏やかな時間になりますように…

 

▼椿の花弁ってハートなんですね。

    知らなかった

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今年は年頭から激動の1年でした(苦笑)

これ以上私の人生に何が起こるのだろう…

もう何も起こらず

穏やかな毎日になりますように…と

心の中で祈っていました。

小さなことまで話せばキリがないくらい

本当にいろんなことがあったのに

私は壊れることもなく

人生何度目かの大きな転機を迎える前に

2018年が終わります。

本当に辛くて苦しかったけど

悪い事ばかりでもありませんでした。

私はぐちゃぐちゃだったけれど…(苦笑)

息子がとても成長した1年でしたし

彼の笑顔に何度救われてきたことか…。

とはいいましても、

ごく一般的に訪れるだろう

我が子の成長なのですけど

我が家はちょっと〝訳あり〟なので

些細なこともより幸せを感じる

お出汁が効いてるお澄ましみたいな…

薄味だけど濃い日常を

積み重ねた1年だったように思います。

年末年始の初チャレンジは順調です。

今まで考えたこともなかった

時間を過ごせています。

ものすごい休暇をいただいてる感じ。

うん。

さぁ、今日が今年最後の日

明日から2019年。

来年の今日の私は

どんな空を眺めて

誰と共に生きているのだろう…(笑)

 

 

今年1年、グダグダなブログを

読んでくださっていただろう皆さま

ありがとうございます。

また来年もグダグダなブログや

他愛ないことを綴っていきますので

宜しくお願いいたします。

 

それでは、良いお年を…

 

2018年12月31日 千晴ことsorahitoumi

 

 

 

 

 

 

今日の空

今日はいい天気です。

遠くに見える山は白く霞んでいるけれど…。

今日もゆっくり休もうと思います。

 

三角港にある〝海のピラミッド〟の中。見上げるとアンモナイトみたいなのです。

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耳や目を休めるということで

得られる心地よさを

感じられるようになったのは

急性期の頃に何度か利用した

保護室のお陰です。

一度入院したことで

自分自身の現状を認めなければならない

事態になりました。

ようは『頑張らない』ことや

現状を越えられないなら

『逃げてもいい』という選択肢もあるということを

知ったことは今ではよかったと思っています。

〝頑張ることが正義〟だと思っていた

当時の私には強制終了というカタチで

認めざるを得なかったわけです。

その日を境に気持ちを切り替えて

身体を治すことにしたのです。

その場しのぎの癒しでは

人は病んでいくだけなことにも

気がつくきっかけになりました。

そして、なぜ自分がそうならざるを

得なかったのかも今ならわかります。

だけど、あんなやり方はないと思う(怒)

 

こんなことをブログで公言すると

必ず登場してくるのが

『頑張ることが正義』と思っている人々と

『頑張ることは悪』という仲間たちが

対立することになるわけですね。ハイ。

で、私はどちらともに一度振り切れたと思います。

で、結果的に、どっちも〝アリ〟で

とどのつまり、使い分けれることが可能だと

気がついたわけです。

それは、生き方の選択肢が増えた

ということにもなるのだと思います。

私の場合には、頑張ってたから身体が壊れたのです。

1人でなんとかしようとしてたから。

自分1人で何もかもを抱え込もうとしてたから。

今の自分ではできないことは

是が非でも1人でする必要はない

誰かに手伝ってもらってもいい。

そういうことを今たくさん練習しています。

 

ただ、元気になってくると

現状を突破するためには、

頑張らないといけない場面だって

当然あります。

が、しかし、人それぞれにキャパの違いがあるからこそ

そこを、どうするかを決めるのは自分なんです。

その時、どこをみて決めるのかで

行き先が随分変わってしまうのですが…。

それが、最短ルートになるのか

回り道になるのかは

一度体験してみなければわからないのです。

そして、同じルートでも

その人それぞれの背負っている物事で

その道が平坦に思えるのか

凸凹に思えるのかも変わります。

だからこそ、苦楽というものは

経験して初めてわかることだと思います。

 

最近、思うのは〝頑張ること正義〟

だと思ってる人々は

もしかしたら〝頑張れてるつもり〟なだけで

実際には自分自身の頑張ってる許容範囲まで

満たされてないんじゃないかと

思ったりするのです。

だってですねキャパシティを越えるくらい

頑張らないとやってけなかったから

強制終了が来たんだと思うんです。

いろんなところに不調がきてるのを

誤魔化し誤魔化しやってるだけだということ。

ということは、強制終了が来ない人の場合には

あきらかにどこかでガス抜きはできてる訳です

ということは、

強制終了がきちゃうタイプの人からすれば

そんなに頑張ってはないのかもしれない。

ただ、その〝頑張る許容範囲〟というのは

〝自己評価〟と〝他者評価〟は

確実に乖離していることが多いと思われるので

やっぱり、それこそ

自己満の域になるのだといえると思います。

だから、他人がとやかく

口出す筋合いもないわけです。

でも、強制終了を

わざわざ起こさせるように仕向けるような

認知行動療法はヒトデナシ療法だと思っています。

回りくどい言い回しはただ単に保身です。

自分が被害をあわないように

誰かを使ってコントロールしてるのが

現代社会だと私は肌身で感じています。

互いの秘密を握りしめあって

その秘密をばらされたくなくて

仲間うちで忖度してることは

絆といえるのでしょうか?

そして、そういったことで

誰かをコントロールしてることに

気がついていない人も

たくさんいらっしゃると思います。

無自覚だからって許されるのか?

それこそ、された人にとっては

〝恨みの種〟にしかなりません。

その仕組みを知るまでは…。

だからこそ、私は人を恨まないようにするには

どう自分の中で処理をすればいいのか

模索してきた10年でした。

他者を恨まずに自分の中だけで

みえない物事を打ち消すエネルギーが

本人の中で一体どれだけのなのか

想像したことがありますか?

経験した人にしか絶対わからない感情だと思います。

それくらい、怒りのエネルギーの昇華は

半端ないからです。

だからこそ、自分に向き合えない

自己受容ができない人は避けると思います。

そして、自己受容出来ていない人々が

〝頑張ること〟か〝頑張らないこと〟の

どちらか片方を主張しているなぁと

思ったりします。

どちらもアリ。でもどちらも認められないのは

己の許容範囲に自覚がないことを

証明しているようなものだなぁと

そんなことを思ったりします。

だからこそ、やってみなきゃわからない。

止まることも進むことも、どちらとも…。

 

その場しのぎの小さな嘘は

洋服の綻びと同じ

 

きょうはこのへんで

今日の空

朝起きたらしとしとな雨

怒涛のように毎日が変動しすぎて

猫パンチ療法に気がつきながら

売られてもいない喧嘩を

勝手に売られていると思ってしまう

私の〝脊髄反射〟を沈めてくれる

存在(パートナー)が欲しい

今日この頃です(泣)

※サンタさんに頼んでみたのですが届きませんでした(泣)明石家サンタに電話をかけまくりましたが、今年も無残におわりました(泣)言いたい台詞をいくつか考えてたのにぃーーー(泣)

 

▼ある日のサンセット

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秋に森で散歩をしていると

かなりな確率でドングリが落ちてきます。

でも、なぜだか不思議とドングリには

当たったことがありません。

っが、なぜだか鳥の糞に当たる確率は高く

本日もカラスドンの粗相が

愛車を直撃しました。

とりあえず生身の私にではなく

愛車が身代わりとなってくれました。

某界隈の後者クオリティってやつを

久々思い出し

やっぱり私は〝ツイテル〟と思い

自分を窘めました 笑笑

 

久しぶりなチャレンジと

人生初の試みに年末年始挑みます。

※挑みますってちょっと大げさかもしれないんだけど…苦笑

幸いなことに息子が成長してくれたので

チャレンジできることです。

でも、なんだか息子は不安だったようなので

おもいつく限りの言葉をかけて

ギュッとハグをしましたら

息子の手に力がはいったので

やっぱり不安だったのだなぁと思ったので

「ごめんね」って誤って言い訳をしました。

私のいわんとすることを

本当に理解できてるのかはわかりませんが

わかってなかったとしても

息子を信じて伝えることにしてきました。

10年前の私にはできなかったことを

できるようになれたことで

今の母子関係になれたのだと思っています。

 

私が幼い頃からずっとモヤモヤしていたのは

両親の関わり方が的を得てなかったことより

私だけに集中し

意識をむけてくれてなかったからだったと

息子が教えてくれたように思います。

たとえ、関わり方がど真ん中だとしても

意識の向け方次第では的が外れてしまいます。

どのタイミングでどんな時に

意識を集中させるかだけで

相手の無意識層と繋がれるんじゃないかと

そんなことを思ったりする今日この頃です。

 

きょうはこのへんで…

今日の空

昨日から三連休からの

本日は中日の日曜日。

我が家の場合には

サンタさんと契約していないので

サンタさんのかわりに

私から息子へプレゼントを

あげることにしています。

息子はまだ戦隊物などの

キャラクターに目覚めておらず

DVDで喜んでくれるので

とても助かっています。

 

▼白いダンデライオン

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今日は天皇陛下のお誕生日ですね

この日が祝日なのは最後。

そして平成も残り少なくなりました。

30年前の私は受験生でした。

小学校一年生に虫垂炎になり

数年に一度お腹が痛くなって

痛み止めの注射をうったりして

8年程ちらしていました。

ですが、受験に影響しないように…と

手術をしたのが

30年前の秋頃だったことを

思い出しました。

人生初の麻酔と手術

麻酔が痛かったことと

術後の麻痺で思うように

足が動かせなくて

イライラを通り越して

気持ち悪かったなぁ。。。

寝てないと頭痛も酷かった。

だから、麻酔はもう嫌だーと

思ったことも思い出しました。

最近はそんなに簡単に

切らなくなったそうなのですが

私の場合、もうパンパンだったと

その当時の外科の先生が

教えてくださって

「みる???」

といわれ、即答で嫌ですと答えました。

うる覚えです…。

下半身麻酔だったので

手術室のライトの銀色の部分に

自分のお腹が映っているように思って

目をつぶってみないようにもしました。

ブラックジャックが漫画中に

鏡をつかって自分で自分を

手術するシーンを思い出したからでした。

その当時相当怖がりだったのです。

でも、今思うと自分の虫垂炎くらいは

拝んでおけばよかった…。

それだけは心残りかなぁ。

 

きょうはこのへんで。

今日の空

今日は生憎朝から天気が悪く

小雨が降ったり、止んだり…

ここ2年激動だったけど

何度も何度もいろんなことが起きて

更に激動になってしまってて

それでも、去年より

今年はわりと寒いのに

刺激がおこるたびに起きていた

痙攣が全くなくなって

頭痛もしなくなってることに気がついた

身体はそれなりにしんどいけど…。

さすがに辛いなぁ。

こんな時やっぱりそばで

支えてくれる人が欲しい。。。

 

▼写真は昨日の空

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決して今、私の現状は

他の人が知ったら

幸せにはみえないと思います。

それでも、私にとっては

遠い昔に越えられなかったことを

包み隠さず言って

人に頼るということができています。

ワタシからしたらすごい進歩です。

かなり迷惑もかけているし

たくさんの人を巻き込んでいます。

以前の私ならもっと苦しんでいたし

罪悪感でいっぱいだったと思います。

正直いって、しんどいです。

でも、耐えれています。

でも、身体にでているので

鬱になっていると思います。

でも、これは、私に精神障害があるからではなく

健常の人たちでも鬱になるレベルの

ストレスを感じていると思います。

それでも、なんとかなっている。

意地で耐えているのではないです。

昔の私とは違うから

どうやってそのストレスを

少しでもなくせるのかを知っているからです。

私につぶれて欲しい人たちには

面白くないと思います。

昔の私だったらとっくにつぶれてるし

入院してたかもしれませんね。

でも、何が違うんだろう?

自分でも不思議なんです。

乖離してると思われてるかもですけど

乖離してませんよ。

そして、ハッキリしたのは

鬱や自律神経が弱ると

忘れる確率が高まること。

唯一の救いは息子が安定していること。

夕飯の用意してなくても

冷蔵庫におかずがあれば

自分でご飯をよそって、温めて食べています。

しかも、私の分まで用意してくれます。

息子は自閉症なので

〝社会性の障害〟があるといわれていますが

社会性はそれなりにしっかり身についています。

行動障害が酷かった頃

外出も難しくて避けていたことがありました。

それでも、外出も外食も好きだし、

旅行することも好きな子なので

行動障害を治したくて取り組んできました。

私は身体アプローチのことを学んだし

自分自身や息子も治療をしてきました。

そのおかげで、先日、

人生で3度目の修学旅行へ行き

何事もなく無事かえってきました。

本当に、心の底から嬉しかったです。

大げさですが、嬉しくて泣きました。

それくらい、酷い時期を乗り越えたからです。

だから、悪いことばかりじゃないです。

恥ずかしながら、

生活がたちゆかなくなってしまったのですが

それでも、この日のために

お金を使ってきたので悔いはありません…

といいたいところですが

もっと早く、私が手放せていたら

こんなことにはならなかったし

〝いつ〟〝どこで〟〝誰に〟

手を差し出していれば

援けてもらえていたのだろう…と

いろんな思いが駆け巡ります。

感謝の言葉も溢れてくるけど

その前に溢れてくるのは

私が誰も信用できないことよりも

私自身が信用されてなかったことを

常に思い知るだけです。

人が信じられなくても、裏切られても

今弱者の私には目の前の人を

信じて頼るしか術はありません。

来年の今頃は今日の日の私を思って

笑っていられたらいいです。

 

今日はこのへんで…。

 

 

今日の空

やっと12月らしい気候になりましたね。

でも、さすがに寒いです。

季節の移り変わりを目だけで楽しむだけでなく

肌身や味覚でも感じるように

3年くらい前から心掛けてきました。

向精神薬を卒業し漢方に変えてからは

寒暖の差を身体の芯から感じることも

努めているので

なるだけ部屋を暖めすぎないようにしています。

昨日まで喉と鼻の繋ぎ目あたりが

カピカピに感じて不快に感じてましたが

鼻うがいをしたりして

応急処置をしたら回復しています。

咳に移行したので

あと少しで治ってくれるだろうと思います。

 

▼久しぶりに作ったサンドイッチ

   鯖&キャベツと卵&ベーコン

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今日は〝恩返し〟について考えてました。

童話や神話にある〝恩返し〟系のお話のおかげなのか

育ちの中で学んだのか

受けた恩は〝お返ししなければならない〟と

ずっとそう思っていました。

だから律儀に守っていました。

それが当たり前だと思っていたからです。

ここ数年の出来事で

私の〝恩返しの定義〟は脆くも崩れ去り

返せる時に返せばいいし

返せなくても特段問題がないということに

気がつきました。

昔の私は見返りを求めていたけれど

考えてみると

見返りが欲しくてやってたワケでもなくて

なんか知らないけれども

突き動かされるからやってただけだったなーって

そう思ったんですよね。

でも、それが傍からみれば

余計なお世話だったり

良い子ちゃんに見えたりして

気持ち悪がられたりしたのだと思います。

で、ほっとけばいいけれども

私の場合には、〝ほっておけない気持ち〟が

どうしても溢れてくるのだということも

わかりました。

で、そうなると今度は

〝ほっておいたがいい〟という気持ちと

〝ほっておけない気持ち〟という気持ちが

グルグルぐるぐるしちゃうようになりました。

いつ頃だったかなぁああ。

自分自身がやってきたことが

見返りを求めていたということに気がついた時

ゲシュタルトの崩壊が起きたんですね…。

それはそれは酷く醜い怒りとなって

表出されました(苦笑)

 

「ああ、私はそう思ってたんだって…」

 

そんな自分にガッカリもしました。

いわゆる確認作業ってヤツが起きたのです。

それからは、振り切れたことで

相手が迷惑だろうが

自分次第でほっといたり

ほっとかなかったりできるようになって

どちらにも罪悪感を感じることなく

自己満足を楽しめるようになりました。

※相手によっては迷惑きわまりないかもしれませんが…。それは相手の課題ですので。。。

 

そして、今日、〝恩返し〟という言葉をみて

ふと、

 

「〝恩返し〟しなきゃっていう気持ちは

      過去形だよなぁ…」

 

って思ったんですね。

ということは、その場で返せたかもしれない

様々な気持ちをその場で返せば

いいだけじゃんよーーって気がつきました。

ということは、今まで時差があったり

もしかしたらズレた返しをしてたから

〝恩返ししなければならない〟といった

罪悪感といったこととになって

表出してたのかもねーーーって思いました。

それで、その時、お返しできないから

時差が生まれるだけの話になるなら

罪悪感を持つ必要もなければ

返さなければならないという概念も

見返りを求めていることには

ならないんじゃないかって思うと

結局、どう受け取るかだけなんだなぁと

思ったのでした。

やっぱ自己満でいいんじゃん。

ってことで落ち着きました。ちゃんちゃん。

まとまってるようないないような…。

 

きょうはこのへんで。