ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

今日は朝から曇り空。風も少し強めです。

一昨日から体調不良です

寝ても寝ても足りません。

そして、何もしていないのに

なぜか身体が筋肉痛なんですけど…。。。

なんなの一体???

 

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ここ最近、へんな食欲で

夜中に目が覚めることが多くて

運動不足なのか、夏の疲れがでてきたのか

夏から秋への移行期間になったからか

睡眠のリズムが乱れまくっていました。

で、昨日の明け方やっぱり目が覚めて

数分後、テレビ速報で

北海道の地震を知りました。

どうかこのまま終息を迎えますように。

 

熊本地震が起きた時の翌朝

どれくらいの数だったのだろう…

国道に何十、何百台も並び移動している

救急車と消防車。

映画『フィールド オブ ドリームス』の

最後の場面をリアルでみた気持ちになりました

あの映画はハッピーエンドだったのですが

私がみたのは、嬉しくもない

緊急事態な赤い光のイルミネーション

忘れられない悲しい思い出です。

 

この度の天災で被害にあわれた皆さま

又ご家族を亡くされた方

被災なさっているみなさまお見舞い申し上げます。

一日も早く事態が終息し

復旧・復興へ向かいますように…

 

今日の空

日中はまだ陽射しが夏仕様ですが

本日の空はすっかり秋の装いでした。

 

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台風だったからか

少々イライラしており

昨晩から落ちています。

なので、ネタは降ってくるのですが

正直ブログの記事にする気力がなく

久しぶりに寝ることで

体力と気力回復に勤めています。

まーなんというか

自分のミスであったとしても

そのミスを食い止めることが

どこかでできるはずなのに

それらができないって

一体どういうことなのだろう…

という事態に見舞われました。

おそらく一般的には

私が悪いで終われば

そこで終了案件でした。が

諸事情でまた食い掛かってしまいました(爆)

そして、気が付いたのが

そーいえば前回も天気が荒れ模様の時に

爆発したなぁと思い出しましたので

『#全部台風のせい』にして

開き直ることにしました(苦笑)

 

それにしても、眠い。しんどい。

今日も早く寝よう。。。

 

きょうはこのへんで

今日の空

本日も日中は暑そうですが

朝夕大分涼しくなってきましたね。

今日は月曜日。

いよいよ2学期が始まりました。

さぁ、今学期はどれだけ遅刻なく

通学できるでしょうか。

 

▼昨日の空。積乱雲がすごかったのでパチリ

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私は昔から、内省して落ち込んで

閃いて、復活して

また、やり方変えてやってみて…。

といった感じでサバイバルスキルを積み重ね

時には根本からポッキリ折れたり

どん底まで落ちて、浮いて…と

そんなことを繰り返しながらも

仕事もして、恋愛もして、結婚もして

子どももいて、両親健在で…。

ポジティブな情報だけ言語化すれば

女性に生まれてごく一般的な生き方は

それなりに送れてきたので

自分の人生において、幸も不幸も

イベントが発生していない人たちからすれば

『十分幸せじゃないですかーっ』ておもわれる

人生だと思うし、確かに苦しかったこともあったけど

幸せを感じなかったわけじゃなかったのです。

いつのまにか内省することが

自己成長を促すためのツールと化していました

ただ、その内省のやり方がズレてたことと

主体性がなかったことで

どん詰まりになってしまうことに

なっていました。

自分自身の元々もっている個性がなくなっても

社会の中でうまくやっていけるなら

そっちがいいと勘違いしていました。

で、一度強制終了が起きた後

生まれ変わった気持ちで

人生をやり直そうと思ったのが

9年前になるわけです。。。

(いやー、ホントにながすぎた。。。)

 

で、この9年間、なにをしていたのかといえば

心理面と身体面それぞれに

ゆるっとアプローチをしながら

一度社会復帰しつつ

自分自身と真正面から向き合うことを

行ってきました。

以前通院していた整骨院の先生のカウンセリングの時

 

「はるの場合には、目の前の扉があるのに

 ちがう扉に目がいって、そっちを開いているよな(笑)」

 

っていわれたことがありました(苦笑)

この当時の私には、意味不でした。

ちょっと、先生に〝もやっ〟としたように思います。

でも、今の私なら解ります(笑)

先生からは、違う扉を開いているってみえても

私にとってはその扉は目の前の扉だと

思ってたけど今思うとズレてたんだよ。

確かに…。

(いま、これ読んで
 爆笑しているのは、多分前者組なハズwww)

 

私が何言ってるか意味不な人は

おそらく後者です。

※後者とは心屋界隈でささやかれている。前者・後者論のことです。
【 心屋、前者後者 検索 】でぐぐってくださいませませ。

 

簡単に説明しますと、

私の見え方が焦点が狭い事から起こる

選択肢の狭さでもにもなると思います。

カメラで説明すると、

広角レンズ搭載してるかしてないか

レンズで拡大しすぎて

見たい景色だけをクローズアップしたことから

その他の背景が私の中では

〝存在しない〟ものとなってしまう。

ということは、他にも選択肢はあるのに

その選択肢は外野からみれば

 

『〝ある〟のに〝ない〟状態』

 

でも、本人にとっては

 

『これしか〝選択肢はない〟状態』

 

となっているわけでおじゃります。はい。

なので、本人からすれば

目の前の扉を開いてるハズなのに

ズレて選んでいるという状態だったわけですね。。。

トドのつまり…。

 

で、精神的にナイーブな躁鬱組な人は

基本的に内省はしちゃダメらしいんですよね。

できるだけ開き直ったがいいわけです。

ただですね、内省のズレ方が

なんかだだっ広いように思うんです。

占星術的な言い回しで申し上げると

木星×金星なペア『拡大と発展』な人たちで

あるように私は感じるので

振れ幅が一般の人よりも広いわけなので

良いほうにぶれたら宇宙にまでひっとでらすし

悪い方にいったら、死んじゃうくらいに

自分の中の心の泉だか大海に

沈没することになる人たちでもあると思うのです

まるで、だだっぴろい草原に

リードをつけたワンコを放した時の

あの状態に陥りやすい人たちなわけです。

そういう人たちに、そのやり方違うよっていって

もっと違うやり方でやり直しっていうことが

本人の自尊心を傷つけることにもなり

元々はナイーブでプライドが高いからこそ

更に傷口に塩を塗ることになるわけです。

なので、この場合、やり方が違っても

うまくいったなら褒めるだけでいいし

間違ってても本人に内省させることはせずとも

本人が失敗して気が付くまでやらせるほうが

傷口は浅くて、本人もダメージは少ないような

そんな気がします。

で、そんな人たちの場合

魂レベルの成長を目指していらっしゃるなら

多分、相当辛く苦しい状況になると思うのです。

なぜなら、魂レベルの成長に欠かせないのは

 

『どんな自分も認め受け入れる』

 

ほかないからです。

人の世界だからこそ、相対化されるのが常識です。

で、相対化されるということは

自己認知と他者認知はズレがあるかもしれないのです。

で、大抵ズレまくってたりするものだと思うのですね。

で、人生うまくいってない人って

他人の目を気にしすぎて自分責めをしており

そんな自分責めをしつつ

他人のことも許せていない罠に

はまっていると思われますがいかがでしょうか?

そんな方、身近な人で心当たりございませんか?

なので、躁鬱組は、

魂レベルの成長を目指すことが

幸せから遠ざかることでもあり

人に迷惑をかけてるつもりがないのに

最終的には人に迷惑かけてしまうのだろうなぁと

そんなことを思ったんですよーーー。

だから、やっぱりこういうタイプの人の場合

内省しないことが養生の秘訣なんだなぁーと…

なので、そりゃーー次元が違うわー私とは。。。

と思ったりしました。

(決してマウンティングではありません)

 

「 躁鬱は急にとまれない 」

改め

「 躁鬱は急にとまらなくていい 」

 

スィッチバックが特異ですし

脱線しまくるのが資質!!!

 

ちなみに私は躁鬱じゃない。以上。

 

きょうはこのへんで

今日の空

雨上がりだからか

空気が澄んで涼しい朝です

ああ、もう9月だなんて信じられません。

後4カ月で2018年が終わってしまいます。

今年は本当に時間が過ぎるのが早い。

 

▼草むらの中で擬態化している
 バッタを発見したのでパチリ

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いろいろな話をブログに残そうと思ったら

ネタを思いついたその時に言語化しないと

どうも、忘れてしまいます。

何度も記事にしようと思ってたネタを

ふとしたことで思いついたので

今日はそのことを…。

3年程前に携わったイベントで

知り合うことになった60歳代のおじ様が

『覚悟』の話をしてくださいました。

(以後、Kさんとします)

私がKさんと知り合った時には

お仕事を辞め、独立なさってました。

Kさんはお仕事を辞め

独立をしようと思ったけれども

なかなか『覚悟』できなかったのだそうです。

で、ある日、その『覚悟』を決めるため

1枚の紙に大きな文字で『覚悟』と書き

その『覚悟』という言葉を飲み込みつつ

( 声をだしながらだったかしら…???)

腹に落とすということをやったんだよ。

と教えていただきました。

そうしたことでようやく肚に落ちて

『覚悟』が決まったのだそうです。

そういう風に意識的に身体の中にとりこみつつ

アファメーションをすることにもなるよなぁーと

そんなやり方も〝アリ〟だよね。

と思ったことがありました。

要するに、神社参拝などをする時

神様へ向かうことで宣言することと同じで

自分で自分に宣言することを

頭の中だけで行うのではなく

体言化するということを

教えていただいたように思いました。

私の場合、お金を払って講座などにいかなくても

大事な局面で大切なことを

気が付かせてくださる人との出会いが

今の私の血肉にもなっているように思います。

自分の親の導きとは違った年上の人たちや

老若男女問わず、この世の捉え方や

知恵を普通の生活の会話の中で

伝授してくださる人たちに恵まれてきました。

本当にありがたいことだなぁと思います。

もちろん、私自身が落ち込んでしまうような

そんな洗礼もあります。

ただ、人が気がつく時というのは

その人の根底が覆されるくらい

良い意味でも悪い意味でも

ぶっ刺されないと気がつけないんだよなぁと

私は思うのですね。

でも、大抵の人はその時の自分に

丁度いい言葉だけを残す生き物だと思うのです。

そういうその時だけ自分を癒してくれるのは

その場しのぎでもあるわけですから

コップのお水を飲めば減っていくように

それらを忘れていくように思うのです。

だからまた、その時の自分に丁度良いくらいの

快や不快の刺激を求め、満たされる…。

トゥビーコンティニュー…(繰り返し)

ってことになるんだろうなぁと

そんなことを思います。

〝ある〟って知ってるから

その時丁度いいくらいの刺激で終わらせる

そして、ある日、その当たり前に

〝ある〟と思っていたものがなくなった時

もう、その〝あった〟ものが無くなろうとする時

初めて気が付きますよね。

このままずっとなくなったらどうしよう…って。

そういう不安から自分を回避するために

人は〝知恵〟というものを

与えられた生き物のように思うのですが

やり方ばっかり知ってても

技術が伴っていないなら

本末転倒だよなぁ…。なんて

そんなことを思うにいたりました。

 

きょうはこのへんで

 

 

 

 

前世と体内記憶を忘れている件について

たまにはスピなお話でも…ということで、最近気が付いたことがあり疑問に感じていることがあるので、覚書程度にブログに残しておこうと思います。そういうお話が苦手な方はご遠慮くださいませ。

 

 さて、以前、過去記事で『時には前世話でもしようじゃないか』ということを記事にしたことがあるので、そのブログにも綴ったように、前世の夢らしきものは何度もみたことはあるし、フラッシュバックをした時に太古の昔くらいまでフラッシュバックしたことがありますし、行ったこともない景色を夢にみたこともあることから、おそらく前世はあるのだろうとは思ってはいます。

 ただ、私は出産時、仮死状態で生まれたからか、体内記憶はもちあわせておりません。で、些細なキーワードや一コマからフラッシュバックを使って、過去画像がエンドロールのように流れる不思議な脳みその持ち主なので、そんな記憶が残っているなら、私にだって体内記憶とやらはあるんじゃないのかしらって興味が湧いたわけです。胎内に宿る前に神様とどんな約束をしてきたんだろうって…。スピが好きだからこそ、やっぱりそういうこと憧れてないといえば嘘になるので、私にもあったなら、思い出せんだろうか…。って思うわけですが、どうでもいいような過去データはいくらでも遮ぎれたりするのですが、どうしても体内記憶のデータは思い出せないのですよね。逆に不思議におもっちゃいませんか? 太古の昔の記憶までフラッシュバックででてくるなら、体内記憶のほうが新しいハズなんだけど??? そんなことを思って私なりに考えてみたんです。なので、仮説です。個人的見解なので、面白いって思ってもらえたら嬉しいです。体内記憶を大切にしていらっしゃる方たちのお気を悪くさせてしまうかもしれませんが、こういう考え方の人もいるということで、読んでいただけましたらと思いますし、途中むかついたら、読まずにこのブログを閉じていただいてかまいませんので…。

 では本題です。私は出産時、吸引分娩で仮死状態で生まれました。この〝仮死状態で生まれた〟ということで、それなりに脳がダメージを受けたのか、私自身がLD体質なことから、出産時にそんな事態にみまわれたのだろうと思われますが、これもタラレバなんでございますけど、もし、普通に何事もなく私が生まれてこれたとするなら、胎内記憶は覚えていたんじゃないかって思ったんです。でも、私はどうしても思い出せません。なんか損してる気持ちなんです。(私だけかしら?)ただ、胎内記憶のあるお子さんでも大抵そのうち忘れてしまうものでもあるらしいので、ようはお子さんとそういった話をしなければ、胎内記憶を持って生まれたかどうかなんてわからないわけですよね。で、私の場合には、幼少期は覚えていたかもしれないけれども、私の母はそういうことを私が口走ったとするなら、多分覚えているはずだと思うし、逆にそういうことだから、母は大切な記憶として覚えてないのかもしれないという考えにいたりました。

で、それとは別に、私は自分がバカだと自覚がありますし、田中ビネーの検査では、私の知能指数は境界域なんです。実はこれでも。ただ、人よりも無駄に覚えられていることが多いことから、それが現在、こうして身を結びブログを書いたりすることに役だつこととなりました。それに、私にとって、こうして頭に浮かんでくること言語化し整理をすることで内省言語を外側にだし、脳内に溜めないようにもしているのです。留めるから滞るワケですし…。で、記憶力があるほうだとしても、その記憶も凸凹があるので、私自身にとって都合のいいこと又は興味関心次第で覚えられていることと覚えられていない事の差があります。そして、魂って古い魂とか新しい魂とかがあるって昔聞いたことがあります。で、私は波乱万丈な生き方だったので、魂が若いからこんなことになってたんだろうなぁ。だから修行をしないといけないのかもしれない。と思っていたことがありました。でも、今回、このことを考えている時に、イヤ、逆に私の魂は古くて特殊かもしれず、現世の自分は記憶力が特異だから、逆にそんくらい前世の記憶まで思いっきり忘れてしまうくらいの状態で生まれなきゃ、現世の私にとって課題をクリアする時間が短すぎたら、早死にしちゃったのかも。それだと色々な絡みがあって早く死ねないように、お腹の中にいる前までの近い記憶まで、全部忘れることになったんじゃないんだろうか? だって、そうじゃないと、いろいろ覚えてたら、私がクリアしたい今世での課題をクリアできないからだったんじゃなかろうか…。なんて、思ったわけです( 超絶都合がいい私(笑))覚えていることで、私自身の人生がくるってしまうからなのかも。ということは、実は私の魂は古いんじゃないんだろうか???トドのつまり、魂が古いからこそ覚えてないんじゃないんだろうか? といったそんな尊大な気持ちがでてきたので、そんな自分に驚きながらも、魂が若いも古いも関係なく、魂レベルの成長にもヌケがあるわけでしょうから、そのヌケを埋めるために、輪廻転生というものがあるのかもしれないなんて思うと、なんていうか、凪の人生を味わうための荒波を体験し、ヌケを埋める作戦を神様と約束してきたのかもしれないと思ったら、どんだけ私ドМ設定で生まれてきたんだよーーーーって思い笑っちゃいました。

 胎内記憶も前世の記憶も輪廻転生に関しても、いろいろな説がありますが、それはどれが真実かなんて知る必要もなく、人生の節目節目でその考え方を書き換えていくくらいが私にとっては丁度いいのかもしれないなんて思うこととなりました。自分のことだからこそ、型にはめず気楽に考え楽しむのもアリだよなぁと思ったら、なんだか、いろんなことがどうでもよくなってきている昨今です。

薄味の人生サイコ―!

٩( ᐛ )و

 

きょうはこのへんで

 

 

今日の空

本日が8月の最終日ですね。

週明けには2学期が始まります。

私の就活は花火のように

弾けて散りまくっているだけで

サクラサク』という暗号は

まだつぶやけそうにありません。トホホ。

 

▼今年2度目のかき氷。
 息子は〝サイコ―〟といいながら食べてました(笑)

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ここ最近〝治る〟ことと〝救う〟という

意味の違いについてと

〝人生100年時代になる〟ということが

頭の中を駆け巡っていました。

で、そうやってグルグルして煮詰まると

私の場合には、整理するために

漢字の成り立ちを調べることにしています。

『治』と『救』という漢字の成り立ちから

〝治る〟という言葉と

〝救う〟といった本来の言葉の意味を

みつめなおしてみようと思ったからです。

すると『治』という漢字の意味はたくさんあって

その中で私が着目したのが

  • 整える、整頓する
  • 司る(支配する)、取り仕切る、営む
  • 取り調べる
  • 正す 

『救』は

  • 力や物を貸して助ける
  • 守る
  • 悪事や過ち(間違い)を指摘し、
    正しい方向へ導いてやる

漢字/漢和/語源辞典というサイトを参考にしました。

 

とあったのですね。そして象形文字になった時の

それぞれの意味もまた興味深いものでした。

1つの文字の成り立ちを知ることは

私にとってその言葉がより鮮明に感じられたり

より言葉に深みや味わいを感じれるようになり

私の内面も豊かになるように思うので

こんなことをやってる次第です。

※毎回こんなことをやっているわけではありません。

ネットや著書などで何気なく使われている時でも

私にとってしっくりこない時があって

発信している人がどのような背景で

この言葉を選び発信しているのかで

私の受け取り方も変わるので

大切にしているわけですが…。

まだまだ私も修行が足らないようで

同じ言葉や言い回しを使ってあっても

発信者によっては不快に感じたり

嘘くさく感じたりしています(苦笑)

でも、誰が言ってるのかで

受け取り方の違いはでるなーというのは

当たり前なことなのだろうというのが

現在の着地点でもあります。

今後どのように受け止められる私になれるのだろう…。

ああ、またずれてる…。

で、漢字の成り立ちから得たことで

なんとなくにはなりますが

〝治る〟という言葉と

〝救う〟といった本来の言葉の意味を

私も誤解していたのかもしれないと思って

今、眺めているところなのですが

まだ完全に腑には落ちていません。

ただ、心身ともに正しい状態に戻る時と

何をやっても戻せないことはありますよね。

物でさえ修理はできても

元には戻せないワケですし…。

人間だからこそ、身体が壊れた後は

一度後退したり、状態が悪くなったりして

それから回復していくわけです。

で、悪くなった状態が良くなっていくことで

治ったといわれるわけですが

これまた、障害となると『治る』という意味が

ありえなくなるわけですね…。ええ…。

ただ、人の身体って不思議なのが

どこかが悪くなったことで

そこを補うことから派生する

能力みたいなものが身につく方も

いらっしゃりますよね。

私もその一人でもあるワケですが…。

 

先月、鹿児島に受診をした際、神田橋先生に

 

『一次障害があるのだから
 鬱(二次障害)がでるのは当たり前』

 

というような回答をいただいたんですね。

で、まだその時までは

何かストレスを感じると

体調の不具合が起きていたのですが

ストレスを感じてもそんな不調ではないのです。

というか、漢方を毎日服用しているのが

多分いいような気もしています。

で、それでも感覚過敏が治っているかというと

感覚過敏は治っていませんのですよ。

で、苦手だった人の中での立ち回り方も

なんなくクリアしているのです。

自分に嘘はつかずに忖度せずに

苦手な人たちとも分け隔てなく話せています。

嫌味もいえるくらいの成長ぶり!!!

自分でもビックリしました。

なので、就活をしているのですが

なんさん、ない。。。

ハローワークさんにも頼ってみたけど

面接までも辿り着けておりません…。

 

このブログをみて、在宅でお仕事あるよーとか

こんな仕事はいかがでしょうか?

といった情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら

sorahitoumi☆yahoo.co.jpまで

メールくださいましたら幸いです。

 

きょうはこのへんで

今日の空

扇風機の音との向こう側から

パラパラという音が聞こえてきたので

雨かな?と思って窓を開けたら

ビンゴでございました。

昨日よりも生ぬるさがマシな現地ですが

皆様の地域はいかがなものでしょうか?

 

▼庭の昼顔にぶらさがっていた青虫

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息子がお腹の中にいる時に

男の子、女の子どちらともに

いくつか名前を考えた後

その候補を持って姓名判断の

鑑定をしたことがあります。

その鑑定士の方は、

五行陰陽までみてくださる方でした。

うちの子の場合には2月生まれだったので

節分の前後で運勢が変わってしまうとのことで

私の中で第一候補にしていた名前は

節分後なら大丈夫ということでした。

ただ、これは私だけの中で決めていただけで

生まれてみないとわからないから

仮の候補でした。

結局、過産期まで生まれず

しかも緊急帝王切開になったことで

パニックになった元旦那が

「名前はお前が決めていい」といったのと

第一候補が男の子の名前だったので

現在の名前になりました(笑)

キラキラネームといわれる名前っぽいですが

離婚前の名字で考えたので

カッコ良かったのです

※作家さんなんかを思わせるような名前です(苦笑)

名前の中の一文字が『佐賀の佐』なのですが

『佐賀の佐』の漢字の成り立ちを調べてみたら

救うという意味も含まれていたので

佐という字を使う事に決めました。

そして、

『人を癒し、自分も癒される
 そんな人になりますように…』

といった意味をこめて命名しました。

それから数年後、息子が生まれた後に

障害がわかり、母と名前の由来の話になって

意味を母にいった時

「そんな意味にするから…。」

といわれたことがあって、

少しだけ傷ついたことがありました。

※母は覚えてないと思います。言った人は大抵覚えてないので。

でも、息子が成長している時に

人に援けてもらえることが多く

そして、それで癒されている人たちも

実際にはいました。

で、そんな状況をみた時に

ああ、私は無意識に人と助け合うような

人になってほしいといった願いを込めたのは

障害になった息子を支えてもらうといった

意味ではなく

本来の人と人との繋がりのことだったのだと

思うようになりました。

だって、人は1人では生きていけませんよね。

間接的にでも誰かに支えてもらっています。

そういったことに気がつくきっかけになりました。

 

結局、息子を産んだことで

私は何かから解き放たれたように感じ

その時から人生の歯車が崩れていく

序章だったようにも思います。

それからの6年余りは

頑張っても上手くいかないことの繰り返しでした。

それは夫婦関係だけじゃなくて

子育てのことも、自分自身のこともです。

それでも、今の私はあの頃にクリアできなかった

様々な課題を越えられる自分になれたので

結果オーライなのですが…。

なんちゅーか時間かかりすぎたなぁというのが

正直な気持ちです。

 

きょうはこのへんで…。