ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

他愛もないスピな話への文句を…

昨日は七夕でしたね。昨日記事をアップしようと思ってましたが、本日になってしまいました。。。昨日朝から七夕の由来を軽くぐぐってみたら、織姫と彦星が年に一度会える日といったおとぎ話の他にも、いろんなお話があることを知り『なるほど!』と思ったお話もありました。詳細はネットで検索してみてください。

私は幽霊や妖精とか小さいオッサン、光の粒、UFOも呼んでないけどみたことはありますが、スピリチュアルなことは好きだけれども、スピリチュアルの界隈な人たちのポジティブな慰め方や窘め方に些か腹がたつことがあります。それらはどのようなことかといいますと、体内記憶のことを持ち出して、元気づけようとかポジティブに捉えるような話を拗ねている人たちにそういったことで窘めたり、生まれる前から今の自分の人生を決めてきたのだから…といった話や神話を持ち出して、我慢させたり、抑制させるような話は、時々怒りが湧き上がることもあります。それは誰がいってるかに関わらずです。

体内記憶の話は確かにあるのでしょう。それはわかります。お子さんたちがそういってるから、嘘ではないと思います。ただ、そういう話を持ち出して、いろんな人生を越えてきたり、苦しんできた人に良かれとおもった声掛けはどうなの? と思うことがこれまで多々ありました。私も一時期はそういった話を『そうなんだなぁー』と思うことも確かにありました。でも、実際自分がこの世で生きていて、いろんなことに遭遇した時に自分自身の愚かさだけではなく、自分たちの手中に留まらない私をコントロールしたがる人たちの中で生きている自分がまるでお釈迦様の手のひらにのっている孫悟空のような状態だと思った時に、ものすごい怒りとガッカリ感にみまわれたし、そんな中で1人苦しんでいた時、どんな言葉も通じませんでした。

たとえ生まれる前に神様と約束してきていたとしても、私は現世で生まれた時に仮死状態で生まれたので、更に強制的に記憶喪失なまま産まれることとなりました。私は記憶力がなんだか人より覚えられていたり凸凹なので、更に記憶喪失になってよかったのかもしれないと思う今日この頃です。だって、もし覚えてたら、私この年まで生きてられたかわからないです。むしろ更におかしなことになってたような気がしてならないのですよね。もっと生きづらかったかもしれません。

輪廻転生の話は信じていますし、前世とか来世もあるとは思います。それに、どんな人も一度は忘れて生まれてくるのでしょう? で生まれる前のことを偶々覚えていたのはお子さんなのでしょう? で、その話を人生のいろんなことで傷ついてきただろう大人への慰めやお子さんを好きになれない親とかそういう人たちへ良かれと思って満足する人は正直言ってご自身のエゴに気がついていらっしゃるのでしょうか? もちろん、そういった話で救われる人もいるでしょう。でもですね、複雑な境遇や環境の中で生まれ育った人に、親を自分が選んで生まれてきたんだってことが通用すると思いますか? そう思えるまでには、相当なことを越えてはじめていろんなことに感謝できたり、私だからあの親だったのだと思えるようになるのは、かなり時間がかかるだろう人もいると思うのですね。だから、そういった話を持ち出すのやめませんか? 好きな人たちだけで集まればいいでしょう? って、ずっと思ってました。でも、これは私のジャッジということになりますよね。

あのですね、確かに人生決めてきたのかもしれませんが、人生は自分の覚悟次第でいかようにも変えられるのだということを私はスピリチュアルの人たちからは教えていただいたと思っていたのですが、たとえ、自業自得なカルマだったとしても、それに蓋をするのかしないのかも本人の意思ですよね。その蓋勝手にあけたらいけないんですよね?皆さん、ご自身たちの都合よく教えや神話を使って、ご自身を肯定するようなことに使っていませんでしょうか? 人に言う前にご自身が我が身を振り返って欲しいです。そして、子どもたちにもそんなふうな余計なこと教えないでください。子どもたちには子どもたちの世界があるのです。大人の事情に巻き込まないでもらえませんか?

後、東日本大震災の後、熊本へ移住する人たちがいらっしゃいました。被爆しないように避難なさっている方などです。その中で、オーガニック食品しか食べてないご家庭のお子さんたちが多かったようで、そんなお子さんたちの中には、親のいうことをきちんと守って、お友だちの家に遊びにいった先で、出されたおやつが食べられないといって、飴なら食べられるといって、お母さんに怒られないように選んでもらうお子さんたちもいるんだそうですよ。そんな話を聞いて私はなんだか切なかったです。それって、本当にそのお子さんたちが偉いのかな? 賢いのかなぁ?って。そういうのがイジメになってしまう原因にもなったりもするし、一般的な人たちには通じない世界の話を親が一般の世界へ持ち込む時は、それなりの覚悟がいると思うのですが、それに子どもを巻き込んでいること気がついてますか? もし、心当たりがある保護者の方がいらっしゃるなら、今一度考えてみてもらえませんか? 

 

「 本当にそれを望んでいるのは誰のなんのためですか? 」 

 

私も自分のことに精一杯になりすぎて、息子を巻き込んでしまったからこそ、こんなことをいってますのです。毎日ジャンクフード食べるわけじゃないでしょう? 自分たちの目の届かない所で何食べたのか見張ってるような親の正しい食生活なんて、身体にいくらよくても現状維持くらいな気がするのは私だけでしょうか?

今日の空

私の住んでいる地域も大雨警報発令中ですが

ひとまず小康状態です。

だから逆に怖いです。

明るいうちに降ってくれたほうがまだいい。

九州の下には台風も発生してるので

なんていうか、予断は許さない状況って

こういったことをいうのかしらなんて

そんなことを思ったりしました。

 

▼写真は今日のお昼に作ったパスタ

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雨が降っていない日に公園を散歩していますが

去年はあまり感じなかった

熊蜂がブンブン飛び回ってるし

どんぐり系の木の下のほうで

木の樹液を吸ってる光景を目にすることが多くて

公園を散歩するのも気をつけないと

熊蜂に刺されたら最悪だなーと思いながら

散歩をしています。

蜂の対策も考えて自然も楽しまなきゃなぁと

思う今日この頃です。

先月台風がくる前だったと記憶していますが

母と電話で話している中で

 

〝今年は蜂が上の方に巣をつくってるから

 水害に注意〟

 

というような話を植木屋さんだかが

話をしてたということを教えてもらったので

今年の台風は雨台風なのかもね…。なんて

母と予想をしていましたが

その時の台風の時は何事もありませんでした。

そのかわり、台風後に今回のような

災害に見舞われてしまったので

自然の中で生き延びるための勘は

人間はかなわないよなぁと思いました。

空も虫も動物もいつもサインをだして

私たち人間に教えてくれてるけれど

気がついてなかったり

忘れちゃってるんですよね。

(災害に見舞われた地区のペットたちは

 一体どうなんだろう…。)

そういった一見小さいと思われる光景を

私はこれからも大切にしたいなぁと思います。

だって、備えることも、避難することも

無駄に思えるかもしれないけれど

実質タダですよね。←交通費かかるじゃーんってのはナシね。

交通状況をみて早めに家を出るとか

大事なことだからこそ

何かあった時にどの案を採用するのか

そのまま進むのか、進まないのか…。

〝備える〟ということは

その時の状況をみてどうするのかというのは

警報や誰かに指示をされなくても

行動できるかできないかが分かれ目なのかも…

なんて思いました。

 

この度、災害に見舞われた皆さま

お見舞い申し上げます。

 

どうかこのまま雨がやんでくれますように…。

 

きょうはこのへんで…

 

 

 

 

 

今日の空

雨です。川の水も増水していますが

先日よりちょっとはマシなようです。

全国各地で大雨となっていて

被害も起きているようです。

どうか、大きな災害になりませんように…。

 

▼写真は近くにある蓮根の花

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FBの2年前の記事を本日はご紹介します。

2年前の今日というわけではなく

1月の記事になりますが、

色々思う事があったのでこちらにアップします。

下記をごらんください。。。

 

__________________

 

2016年1月28日 4:48

世の中には凄く立派な人もいるし

凄い成功者もいっぱいいる

でも、一般庶民の中にも

ただのパートのひとでも

学生だろうと子どもだろうと

社会的な立場で成功してなくても

年上年下関係なく

自分に正直に生きてる人は

凄いセミナーとか受けなくても

誰かにコーチングとか受けなくても

すでに身についている人もいる

 

無意識層でやっている

同じ物事を諭してもらっても

その物事を受け入れられる自分であるかないか

相手の言葉が〝響く〟か〝響かないか〟は

相手に対して何かしらシコリを

感じているのかもしれない

そのシコリは〝ジャッジ〟してるという事

言葉を発信している人が誰かで

 

『〝聴く〟という事を

  自分の方からシャットダウンしてませんか? 』

 

という事 。要は〝影響されたくない〟

この人には〝侵されたくない〟という

なんとも言えない〝ジャッジ〟なのかな?と思う

〝この人だから聴く〟とか

〝この人が言ってるから信じる〟とか

そういうのが宗教になると思う

どこの誰の言葉でも、その時の自分次第で

どんな言葉も身に染みる事がある

〝ジャッジ〟は根深く

私たちの身についてしまっている

そして、その〝ジャッジ〟してるのは

自分の本心なのかそこが大事

だから私は年上年下関係なく

どんな凄い成功者の言葉だろうが

自分の五感で感じた事だけを

大切にするようにしています。

だからあなた色には染まりません

たくさんの方々の言の葉を受け取ろうと思います

合掌

 

全ては自分次第! 私はすでに豊かさを受取り

循環させています ありがとうございますm(_ _)m

 

____________________

 

これに気がついたときは

ただ気がついていただけで

実際にはできてませんでした。

で、今はなんとかできるようになっており

大人の階段を1つ昇れた気がします。

 

今日はこのへんで…

今日の空

台風一過後の昨日は晴れたのに

窓を空けてみたら雨が降っていました。

最近よくみられていた彩雲とハロも

なんだか落ち着いたようですね。

この時期は虹がよくみられる時期でもあると

聞いたことがありますが

定かではありません。

はてさて、昨日はスッキリ晴れていたので

久しぶりに散歩してて

空を見上げたらなんだか横顔にみえたのでパチリ。


▼写真は昨日の空。なんだか横顔みたいですよね(笑)

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昨日の『私の治るを科学してみる』を書いてて

思い出したことがあったので今日はそのことを…

 

私は元々頭でっかちな人だったので

興味関心のアンテナがビビビ!っとなると

気が済むまで知識をいれずにはいられない人でした。

だから、子育てだけでなく

自分自身がこの世の中で知らないことは

知識を入れつつ、やってみなきゃわからないことは

自分の出来る範囲でチャレンジしていました。

努力することは苦じゃなかったし

知識は私にとって脳みその

ご馳走のようなものだったので

著書やネットや雑誌などで

読みたいと思ったものを読んでいました。

息子の障害がわかる前は育児本での知識しかなく

発達ということに関して興味関心がなかったことと

1つ下の弟が言葉の発達の遅れがあったけれど

弟はそれなりに成長をし大学に行くまでになったので

息子の発達の遅れを気にもとめていませんでした。

ええ、保健師さんのいうことを

〝鼻くそ〟くらいにしか感じていませんでした

その後、自閉症の診断がおり障害のことを学ぶ中で

己の興味関心の薄さや無知な自分を

反省することになったわけですが…。

そして、これまた、今度は興味関心が過ぎてしまい

盲信してしまい墓穴をほったりもしました。

で、息子の発達の遅れを指摘された時くらいだったか

息子のことを相談していた友だちが

その当時保育園の先生だったので

 

私「子どもには教えなくても大人のすることをみて

  自分で勝手に学んだりして発達するとじゃなかと?」

 

というような質問をしたことがありました。

で、それを聞いた友だちは

 

友「教えなきゃいけないこともあるよ」

 

というようなことを教えてもらったことがありました(苦笑)

(安心してください。今はちゃんとわかります(キリっ)

 教えなきゃいけないことと教えなくてもいいこともあるって。)

私って、一体全体、人の発達を

なんだと思ってたんでしょう

あの当時に戻れるなら

自分で自分に聞いてみたいです(笑)

 

今日はこのへんで…。

 

 

 

私の〝治る〟を科学してみる

 結婚をして母親になって、息子の発達が遅れていると保健師さんに指摘され、子どもの発達の遅れをあまり深く考えてなかった頃の私は『たまごくらぶ・ひよこくらぶ』の子育て雑誌を読み参考にしながら子育てをしてて、よく母に小言をいわれていたことが思い出されます(苦笑)母乳は適当に飲みたいだけのませていたのに、白湯やジュースなどは決められた量しか与えてなくて、よく母には

「あとほんのちょっとが飲みたいんだけん、飲ませてあげればよかとに…」

っていわれていました(苦笑)ですので、今の私がまた最初から育児をするとすれば、あの頃のやり方ではない子育てをするだろうと思うし、もっと楽しめただろうなぁと思うし、発達する速度も過程ももっと違っただろうし、息子自身が今よりも1人でできることは増えていただろうなぁと思います。なので、本当に勿体ないことしたなぁと思う今日この頃です。

 ただ、発達が遅れていてもやり直すことができるということを著書や講座で学びました。ですので〝発達の遅れは取り戻すことができる〟といったことに希望を感じるか感じられないかで、道は大きくわかれてしまうものなのだなぁと思うにいたっています。が、誰も通ったことのない道だからこそ、そして、人の発達だからこそ『治る』ということに対して懐疑的な意見がでてしまうのもいたしかたないことなのだろうと思うし、治ったという本人にしか表現のしようのない感覚があるのもまた事実なのですよね。

 私は〝発達障害は治らない〟と思っていた時期もあったし、その真逆で〝治るんだなぁ〟と思うことも感じることになりました。それに、発達って、エスカレーターのように発達していくものではなく、後戻りしながらも前に進み、何かが繋がったある時に、ぐーっと大きく突然発達したりするものなのだなぁとも感じてもいます。もう40代の自分自身でさえ、発達した感覚を感じられていることもあるので、まだ10代の息子の場合には、ゆっくりでも少しずつ発達し、治っていくように思えることや1人でできることが増えていくことを喜べない人たちがいるとするなら、じゃあ何のために子どもを持ち、育てているのでしょうか?と問うてみたい気持ちです。

言葉のやりとりがあまり上手にできない息子と過ごしている毎日は、一日単位でみつめてみると、どうしても前に進んでいるようには感じられずに、その場で足踏みしているように思えることもあります。でも、去年の今頃と比べてみると随分違っていて、発達していることもあれば後退していることもあるけれども、私からするととても成長を感じるのです。そして、そういった成長を感じられた時は素直に嬉しいと思うことは誰しも感じることではないのでしょうか?

 障害や病気は『治るor治らない』ということに関して、ここ最近ずっと眺めていました。で、私はどちらも振り切った考え方を持ったことがあるので、どちらのキモチも解ります。そして、今現在どちら側にも振り切れ過ぎている人たちの気持ちと同じかというとどちらでもありません。どちらの意見になるのもショウガナイと思います。何故かというと、人の発達する過程の違いや感覚はバラつきがあって当然で、各々の感覚を相対化させ、不特定多数の人に当てはめようとするから、診断基準の幅がおかしなことになってしまい、広範囲になりすぎてしまったのではないのだろうか?と思ったりもします。そういったことから、相対化する基準の前提に違いがあることからも、互いの意見を受け入れられなくなってしまう原因になっているわけだろうし、なんだか戦略の為の対比でもあるのだなぁとも思えるようにも感じ、仕組みの1つなのだなぁと思うと、何事も律儀に真に受けてしまうような体質の私にとっては、そんな仕組みもあるのね…と思えるようになりました。昔は〝0か100か〟に振り切れたことがある私だからこそ、これらの感覚を『含めて越えた=発達=治った』と表現せずにはいられません。ですので、私にとって〝治る〟ということは、常に移ろいでいくものであるし、発達というものは、留まることを知らないのだとも思います。(あれれ、どこかで聞いたフレーズだなぁ…。)それは『私が』というよりも、どんな人も何かしら成長したいっていう向上心のようなものはあるからだとも思います。その向上心をどのように育むのかさえ、ルールもなければ手順もあってないようなものだとも思うのです。必ずしも教科書通りの過程を踏むわけでもないワケですし…。 人の発達の行方なんて円周率と同じくらい、割り切れないまま命が尽きる日まで変化自在に続いているのだと思うのです。

 

今日はこのへんで…。

 

 

今日の空

本日台風7号通過中ですが

こちらは、今の所何事もなく

やっと風がふきはじめたくらいです。

雨もぱらっと程度に降ったくらいです。

このまま何事もなく

通り過ぎてくれますように…。

私が個人的に見回れているだろう

様々かつ諸々な穢れのみを

吹き飛ばしてくれますように…。

 

▼写真は邪気祓いにつくったタイカレー

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近所の方に大好きな青紫蘇をいただいたので

紫蘇をキムチ漬けにして

おにぎりに巻いて食べたり

キャベツのかわりにお好み焼きに入れたり

パスタの具材にして楽しんでいます。

去年は青物の魚が安く手に入る時期でもあるので

刺身用の鯵を買って紫蘇やみょうがや

生姜等の薬味と味噌をあわせ包丁でたたき

なめろう』を造っていました。

再び久しぶりシングルになってしまったし←嫌味

(なんのアピールやねん自分)

息子はお刺身はあまり食べないしで

なめろう』を食べたいとは思いますが

1人分だけ造って食べたいとは思うにいたらず

とりあえず心の底から食べたいと思うまで

待っている状況です。。。ってことは

そんなに『なめろう』を好きでは

ないのかもしれないんですけどね…。

 

そうそう… 青魚のいえば『鰯』

私が思春期ぐらいまでは

地元では鰯が大漁にとれていたので

ベンコバコ(魚を入れる木の箱)一杯の鰯を

タダでもらっていました。

それはそれは、嫌になるくらい。

今は青魚を好んで食べるようになりましたが

幼い頃は骨と血合いの部分が苦手で

一番苦手な魚でした。

(今はムシロ好き)

魚をもらう時は量が半端ないことが多いので

母が工夫していろんな料理にしてくれていました。

その料理の中でも好きだったのが

ケチャップとウスターソースで煮込んだ

『鰯のハンバーグ』です。

今、鰯って1匹300円する時もあるので

ひき肉でハンバーグを創るほうが安いなんて

あの当時からすると考えられません。

というか、鰯が高級魚になったことも

鰯よりもひき肉のほうが安価になってるのも

どっちも信じられません。

魚に関しては、私は恵まれていた環境で

暮らしていたのだろうし

海も豊かだったのだなぁと思います。

今年はイカの漁獲量が減っているとのことですし

秋刀魚の価格も高くなってますよね。

鮭だって…。

貝類は海の汚染なのか温暖化の影響なのか

はたまた人の身体が弱くなったのか

生で食べることが危険になってきていますし…。

地球だって生きているし

進化をするからこそ

海を含め一度失われたモノは

昔の状態に元に戻すことはできないけど

だからって見過ごすわけには

いかないよなぁと思ったりもしますが

一度大きく変わってしまったものを

もう一度大きく変えようとするには

1人1人が考えるほかないのだろうなぁと

そんなことを思いながら

ラジオにしゃべりかけている

寂しい40代おばさんです 

(;_:)しょんぼり

 

きょうはこのへんで…

 

 

 

 

 

 

今日の空

あづい…(=_=)

窓を開けても生温い陽気です。

晴れてます。きっと夏が来たとです。

絶対梅雨が明けたと思われます。

でも、まだ九州は梅雨明け宣言されてません。

ええ、毎年梅雨明け宣言後に

土砂降りな雨の日々に見舞われてきた

数年ですので油断大敵です。

台風7号が接近しているので

どうか被害がないことを

祈るばかりです。

 

▼写真はネジ花。DNAみたいですよね。

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シンクロニティにはまっていましたが

どうやらこの世には疑似シンクロがあることも

ここ数年で気がつくことになり

昨今は本物と似非のみわけもつくようになり

楽しみが半減することとなっています。

が、半減するかわりに

本当のシンクロがあると

心の底から嬉しくって1人ほくそ笑み

心の中で小躍りしている今日この頃ですが…。

とりあえず、疑似シンクロだろうけれど

只今惑星絶賛逆行中ということからの

脳内で振り返りをしている最中ですので

その振り返りをするにあたっての

〝キーワード〟については

いつか記事にしようと思っていたので

先日の『今日の空』の記事から

遡るような話を綴りたいと思います。

金曜日の朝、藤井フミヤ氏が

生放送で出演なさってて

番組の企画で〝象さん〟のじょうろで

観葉植物に水をかけていらっしゃってて

思い出したのです。

〝象さん〟のキーワードから思い出されることは

藤井フミヤ氏は昔俳優業もなさっていて

『天使が消えた街』←忘れたのでぐぐりました

というドラマでフミヤ氏は

高機能自閉症の役だったのですよね。

そういえば…(驚)

で、なぜ〝象〟が関係あるのかというと

その自閉症の青年が読んでいたのが

『ぐるんぱのようちえん』という絵本を読んでて

その絵本の主人公が〝象さん〟でした。

私にとって〝象さん〟は、

幼稚園の頃に地元のコンクールで

最優秀賞をいただいたこともありますし、

それだけじゃなく

歌を歌うことが好きだということの

〝根っこ〟となるような思い出があります。

 

私がまだ2歳代の頃だったか

地元の地区の旅行に家族みんなで参加し

その旅行で動物園に行ったのだそうです。

その時、象舎にいる象を初めてみた私は

 

〝象さん、象さん

 お鼻が長いのね

 そうよ母さんも

 長いのよ…〟

 

と突然沢山の人前で大きな声で

歌ったのだそうです(笑)

私は全く覚えてなくて

恥ずかしい思いをしたといいながら

両親が教えてくれました。

そんな話を聞くと

「私らしいなぁ~」と思います。

これは想像でしかありませんが

本物の象さんは歌の通りだったと

思ったからかもしれないし

言語化できない想いを

歌を歌うことで表現したのかも…なんて(笑)

うけるな。私 (^_^;)

両親にとっては恥ずかしい

思い出だったかもしれませんが

私にとっては〝歌を歌うことが好き〟だということの

原点でもあるように思ったりもします。

それに、固有受覚未発達のなせる技かもなんてね…。

 

今日はこのへんで…。