ワタシの暮らしの忘備録

空と海の間で暮らした、私のこれまでイマココこれから

今日の空

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今日のお昼に出かけたら

激アツ過ぎてびっくりしました( ゚д゚)

写真は昨日の空。

昨日は家族でプールに行きました。

息子が希望した場所で

ウォータースライダーもある施設です。

初めはプールの中で歩いたりしましたが

せっかくウォータースライダーがあるので

私がやってみたくて、息子を誘ってみたら

息子もやってみるというので

スタートする場所まで階段を上りました。

まだ幼いお子さんたちが列をなし

前の人が滑り終わるタイミングをみて

滑り始めるというようになっていて

息子の順番が来ましたが、

座ってみると怖いのか

滑りはじめることができなかったので、

『滑れないなら、無理しなくていいよ。』

と伝えてみましたが

本人は怖いけど滑ってみたい

気持ちもあったようだったので

並んでいるお子さんたちの間に

改めていれて貰い

息子の番になり座ってはみるのですが

滑り始めることができません

それでも、〝滑ってみたい〟という

気持ちもあったようで

チャレンジを止めようとしません。

何度かスタート地点に座ってみて

他のお子さんたちも待ってくれたりする中

滑り始めることができない息子に対して

『頑張ってー』や『頑張れ』など

掛け声なんてかけて貰い

5度目ぐらいだったでしょうか

滑り始めるのに時間はかかりましたが

なんとか、何事もなく最後まで

滑り降りることができました。

で、ウォータースライダーなんて

私は不得意極まりないのですが

少しは怖がりも治ったかもと思い

私もウォータースライダーに始めて

チャレンジしました。。。が( ゚д゚)

 

( ゚д゚)

( ゚д゚)

( ゚д゚)

 

こ、こ、怖かったです( ゚д゚)

もうウォータースライダーは

チャレンジすることはないでしょう。

とりあえず、もう一回なんて

余裕は私にはなく、

息子も一回で満足だったようです。

幼いお子さんが黙って滑り始めるのを

待っていてくれたり

最後は応援してもらったりして

申し訳ないやら、有難いやらで

やっぱりまだ早かったかな?と思いながらも

最後の最後には滑れたので

嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

帰り際、1人の女性の方から

『滑れましたね!』

と声をかけていただきました。

「ありがとうございます😊」

とお辞儀をしながらその場を離れました。

と、これでは

なんだか感動的なエピソードになりますが、

実は、この日、私は準備していた水着を

当日持っていくバックに入れ忘れており

プールの施設に貸し水着があったので

水着を借りました。

で、ウォータースライダーを

中々滑り始めることができない息子に

声かけをしていた私に

途中、

『すみません、水着やぶけてて肌がみえてます』

と教えてくださった親切な方がいて

内心『なんですと!( ゚д゚)』と思いながら

右手でお尻を触ったらやぶけてるのを確認し

右手で破けていた部分を隠しながら

監視員の方に水着のことを伝え

別の水着を貸していただきました(恥)

多分、お尻の線が見えたと思うんです( ゚д゚)

でも、毎日自宅や外出先でも

監視されてると思い生活していたので

なんというか恥ずかしくもなくて

そんな自分にびっくりしました(〃ω〃)

監視されてる日々も役に立つものですね(ブ)

 

 

細やかでも思い出は思い出

私が今あなたに言えることは

ただ、世界で1番大切だという

その一言だけ

折に触れてぽっと浮かぶ

あの日の出来事は

もう、遠く遥か昔のこと

どうか、神様お願い

このまま、今のまま

この毎日の中で

大切なあの人の

ただ側にいて

息をしていることを

見守ることさえ

そんな穏やかな日々も

思い出の1ページに...

今日の空

夜中に土砂降りの雨の音で目が覚め

ゴロゴロピカピカの雷の音におののきながら

いつの間にか明け方になっていました。

昨日から眠いわ怠いはお腹は空くわな

二日間を過ごしています。

 

今日も息子と取っ組み合いの喧嘩をしました。

両親を巻き込むぐらい派手な喧嘩です

身体が大きくなり、力も強いので

私も全力で止めたり、向き合います。

逃げずに怯まずに怪我をしても

ただ、わかってくれるまで全力で。

私は泣き虫なので泣きながらになりますが

両親の前で泣きながら

息子と取っ組み合いの喧嘩をしたのは

今回が初めてでした。

喧嘩をすることは良いことでは

ないかもしれません

ただ、身体でぶつかるからこそ

わかることもあるように思います。

私の息子だからいつかわかってくれる

それだけを信じて。

私にしかできない向き合い方だから

今私にできることは

心身ともに真正面からぶつかることぐらい。

両腕は傷と青タンだらけで痛いしシミますが

そんな傷より、人を傷つけてしまう息子を

ただ、悲しく思う自分も情けなくて

ただ、ただ涙が出て仕方ありませんでした。

でも諦めません。

どんなことがあっても私の手から離れる時は、

本人が本当の意味で親離れを望んだ時に

喜んで手放したいと思いました。

離れ離れの8年は戻らないから

今を大切にしたいのです。

その8年を埋めようとしなくても

きっと、大丈夫。

それだけを信じていきたい。

そう心に誓いました。

 

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学ぶことから得たもの

私にとって学ぶということは、テストの点数を取るためだけではなく、この世の仕組みや不思議なことを知ることで、生きづらさを解消させてくれる一つの方法になっていたなぁと思う。

高校生の頃、勉強することの意味が突然わからなくなり、意味を見出せないままなんとか卒業することができた。
私がPCを使えるようになったのは今から約20年前になる。社会人になり、何度か転職する中で小さなデザイン事務所の事務兼アシスタントとなり、いつの間にかマックオペレーターになった。
事務兼アシスタントだったことやその事務所が最新型のマックやソフトが使用できる環境に恵まれたこともあり、様々なソフトを使ってきた。当時はエクセル、イラレフォトショップクォーク、3Dのソフト、フラッシュなどを上司に教えてもらいながら暇な時間にチュートリアルなどを行い、マニュアル片手に仕事をしていた。初めの頃はブラインドタッチさえままならず文字入力とイラレのトレースを行っていた。自宅で古いワープロを使って文字入力の自主練をしていたくらい、ブラインドタッチができるようになりたくて毎日自宅でも自主練に励んだ。それは全く苦にもならずむしろ楽しかった。あの当時のソフトは限られたツールや操作方法を駆使した技術が必要でもあった。雑誌関連の入稿形態はまだ版下の時代だったし、データ入稿の場合にはネットではなく FDまたはMDだったのだ。ネットを使いデータ入稿が当たり前な今は信じられないくらいあっという間に発展したと思う。

現在のイラレフォトショップはフィルターが多彩であまり本人の技術は要さないくらい手間がかからずしかも失敗しても元に戻すことができるので、本当にスゴイ時代になったものだと、ソフトが新しくなるたび関心するばかりだ。だからこそ、これからの時代は技術よりも企画力や発想力が求められる時代なのだと思うし、失敗を恐れず新しいことへチャレンジしたり時代の変化に対応できる柔軟性が求められるだろうしそれらが強みになると思う。
マックオペレーターだったことから得たことは後に息子の療育グッズを製作することに役立った。A4の大きさに伝えたいことを簡潔にわかりやすく視覚的に伝えることは本当にとても役に立った。
伝票発行など事務の仕事をする時にはテンキー入力ができたことで早い段階で即戦力にもなれた。ただ、エクセルは実は奥が深く、関数をわかっているとエクセルの持ち味を最大限活かすことが可能なことを思い知ることになった時、高校の数学をちゃんと理解できていたら、エクセルがもっと楽しめただろうし、エクセル本来の持ち味をいかせたんじゃないか。そう思うことが多かった。
電話オペレーターの研修などでも、謙譲語や尊敬語などを理解してお客様への対応ができるかどうかは違いが大きく現れる。
謙譲語や尊敬語だって学校の授業で学ぶことだった。どんな教科も必要最低限のマナーやルールを学べる機会であったことは紛れもない事実だ。ただ、それらを教える教師の思想が生徒の資質を如何様にも変えていることは、教師自身気がついてない場合もあるように思う。
あの当時は先生が嫌いだと授業を受けるのがとても嫌だった。でも、今の私はあの時、ちゃんと学んでいればよかったと大学に行ってもっと深めればよかったとそう思うことが少なくない。お金さえあれば、今更でも大学受験したい気持ちで本当はいっぱいだが、私のしたいことに資格が必要なのは社会的にみて資格がなければ信用されない職種だからだ。ただ、私は思う。資格を沢山もち様々な学びをしていても目の前の家族のことさえ幸せにできていないそんな人たちが多いことは言うまでもない。だから資格さえ本当は必要ないのかもしれないそう思う時もある。

ただ、学ぶことが好きであれば、職種によって必ず資格が必要な場合には学ぶことは厭わないように思う。そして、ただ資格を取得するための学びなのかそれらを学ぶことにより、新たな気づきや展開、アイデアなどを導きだせるのかどうかでかなり違うと思う。
私の場合、資格を取得するためであっても何故か将来的に役に立つことが多かった。
それは、資格を取得しつつ私の生きづらさを解消できる学びにもなり、己の知らない社会を垣間見る一つの手段になることが多かったからだ。だから無駄に職歴を重ねてきたけれど今現在の段階では、無駄なことは一つもなかったなとそう思える。多分経験値は高くはないが、経験は多い。経験が多いことからこその強みを持っているとそう思えるようになった。

社会全体が教育や労働に関しても大きく変わっていく時代になるかはわからないが、いつかまた働けるようになった時、そういう時代の流れに逆らわない自分でいられるように、程よい適当力を身につけたいそう思う。

 

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想いが消えてなくなるまえに...

あなたとの思い出を 


思い出しながら辿るたび

 

どれくらい涙を流せば

 

心に空いた隙間は

 

埋まるのだろう

 

あなたがそばにいなくても

 

抱き寄せられなくても

 

あなたの暖かな笑顔を

 

思い出すだけで

 

温もりを感じられる日が

 

来るのだろうか?

 

何気なく過ぎ行く日々の中に

 

あなたの温もりを

 

つい探してしまいそうになる

 

そんな日々を過ごしながら

 

続けていく中で

 

新たなあなたへの想いのカタチは

 

生まれるのだろうか...

 

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知ることが学び

この世に生を受けた日から

 

私たちにとって

 

どんな些細なことも

 

学びになる

 

両親からの教えだけでなく

 

自らの生きている日々の

 

当たり前のことが

 

明日という未来の私の糧になる

 

失敗も成功も

 

自分には全く関係ないことでも

 

全ては繋がっていて

 

連続している中の通過点なのだから

 

私という1人の人格でさえ

 

生まれた頃から

 

いつか天に還る日までの

 

今日の私とは違うのだから...

 

だからこそ、今の私が希み喜ぶことで

 

ワタシを満たしたいんだ

 

私の中に眠る宝の地図が

 

例え間違っていても

 

突き動かされたことを大切にしたい

 

そう思った秋の前触れ...

 

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今日の空

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連日の猛暑が嘘だったくらい

今日の朝は涼しく秋の気配を感じました。

毎年お盆は実家に帰省しますが

帰省ラッシュを避けるために

渋滞しない日時を選んで帰っていますが

今年は山の日という祝日ができたので

13日はそんなに混雑しないだろうと

思って呑気に構えていましたら

想像してなかった場所が渋滞しており

渋滞に巻き込まれ普段1時間もかからない道が

倍以上の時間がかかり実家に辿りつきました。

それでも、渋滞に巻き込まれた中では

マシな方ですが。。。

 

数年前に薬の副作用が原因で

アナフェラキシーショックの一歩手前までになり

日光アレルギーになってしまったので

外に出る時は完全防備でないと

長い時間過ごすことができません。

ですので海水浴も楽しめなくなりました。

社会人になるまでは

毎年真っ黒に日焼けしていたので

社会人になってから帰省の度に

「本当は色が白かったんだねー」

とか

「本当は顔が小さかったんだねー」

なんていうことを言われるくらいに

色が黒くて、ぽっちゃり太めさんでした。

小学生の頃は毎日プールに泳ぎに行ったり

海に泳ぎに連れて行ってもらっていました。

海水浴場でなんて行かなくても

昔は家の前の海で泳いでいたし

父が仕事の休みの時は

海水浴場ではないけれども

地元の人たちだけが知る場所に

泳ぎに連れて行ってもらいました。

私たちは海で泳ぐことより

岩場にいる大きな貝を潜って

採ったりすることのほうが好きで

後は浮き輪に身体を乗っけて

浮かんで波に乗ったりするほうが

好きだったように思います。

海に仰向けになり身体を預けて

ギラギラ光る太陽の下で

目を閉じて浮かんだりもしていました。

ジリジリ照りつける陽の眩しさが

今の太陽の光と違っていたあの頃には

まさか自分が日光アレルギーになるなんて

思いもしてなかったし

アレルギー体質ではあったけれども

日光のアレルギーなんてあることすら

知らなかったのですから

大人をなったことで得た経験や

病気になったことから得た経験値が

今の私の糧にはなったけれども

あの頃の私にしかなかった輝きを

様々な経験から失ったことは

正直悲しくて仕方ありません。

でもそれが大人になるということであるなら

息子を含む子どもたちには

今しかできない経験を沢山して欲しいなと

思ったりします。

息子が私の母に食べ物以外のことで

「船に乗りたい」と要求したそうです。

幼い頃に船に乗ったことを

思い出したのだと思います。

今、彼は昔を振り返っているようです

幼児期にはボンヤリと体験したことを

また改めて「やってみたい」とか

できなかったことを「やってみる」などをして

自分の意思を示し、要求し、要求が通ったり

要求は通らないこともあること

今日はできないけども、いつかは出来ること

今日しか体験できるチャンスはないこと...など

体験を通しての様々な学びをしています。

私にとっても、彼と共に過ごすことが

私の発達のやり直しにも繋がることもあり

今年の夏休みはノンビリしながらも

今まで先延ばしにしていたことに

チャレンジしてみたいなと思う夏ですが

猛暑だったことが盲点でした。。。

でも、それはそれで、得たこともあり

オンとオフの切り替えの模索をしている

今日この頃です。

 

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